外は満月で、とにかく寒いです。
あんまり寒いので、次のようなお話を・・・
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つい最近まで、都(北京)では不思議な術を使う賊(「妖賊」)が出たそうだ。
真昼間に、市場などの繁華な場所で、
呼人姓名、有誤応及回顧者、即覚昏迷。
人の姓名を呼び、誤ちて応じ、回顧に及ぶ者あれば、即ち昏迷を覚ゆ。
ひとの姓名を呼ぶものがあるのだが、ついそれに応え、振り向いてしまうと、突然めまいがして気を失ってしまう。
次に目を覚ますのは、物陰や水辺の誰も来ないところで、
捜剔嚢槖。
嚢槖を捜剔さる。
貴重品入れは探り出され、切り取られて中のものは持ち去られているのである。
被害を受けた者は多い。しかし、殺害や傷害を受けたものは不思議と無かった。
おそらくその必要が無かったのであろう。
近日になってこの賊は出なくなったといい、捕らえられ、きつく罰せられたというのであるが、確証はない。
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董蒼水「三岡識略」巻二捕遺にある記事である。1651年(順治八年)のことであるらしい。筆者は浙江のひとなので、都・北京の事件についてすべて伝聞なのも仕方ないし、逆にどうやってこの事件の情報を仕入れていたのだろう、と不思議な気さえしてきます。
寒いのと何の関係があるか、と思われるかも知れませんが、あんまり寒くて部屋の中でも手がかじかんでキーボードを打っていられないんです。それで、今日はこの短いのでおしまい、ということなのです。
それにしてもシナの古いことわざに
冬至のあとの八十一日を生き延びられれば、貧乏人はもう一年生きることができる。
夏至のあとの八十一日を生き延びられれば、老人はもう一年生きることができる。
というのがあったと記憶するが、冬至から百日ほどが経ったのだが、
「ああ寒い、寒いのう、ひっひっひ・・・」
とわしが火鉢で掌をあぶっているまさにこのときに、多くの貧者(路上生活者)が凍え、あるいは生命を失いつつあるのだろう。または虐待されてベランダなどに放り出されているこどもの生命も消えつつあるのであろう。哀哉。だからどうするというわけでもないのだ。哀哉。