ある若者、仙人になろうと志を立てて西成山という山に登り、王某という仙人に弟子入りした。
王は若者をじろりと一瞥、「ふん」と冷たく頷き、彼に身辺の世話をさせるとともに、命じていう、
「おまえは、ひまがあったら
熟視石壁。
石壁を熟視せよ。
この石の壁を見つめ続けておれ。」
と。
「はあ。。。。。。」
若者、言われたとおり、ひまがあったら石の壁を見つめていた。
王は三日に一度、七日に一度と、不定期に山に現われ、若者に用事を言いつけると、雲に乗ってまた別の山に行ってしまう。
言いつけられた用事を終えると、若者はただただ石の壁を見つけ続けるのである。
初一年、無所見。
初一年、見るところ無し。
最初の一年間は、何も見えなかった。
二年、漸有文字。
二年、ようやく文字あり。
二年目、ぼんやりと文字のようなものが見え始めた。
三年、得所刻神丹方及五岳図。
三年、刻むところの神丹方及び五岳図を得る。
三年目、石の壁には「神丹方」(神秘な丸薬の処方箋)と「五岳図」(神聖な五つの山の絵図)が刻まれていることがわかるようになり、若者はこれらを写し取った。
そのころになると、王神仙は滅多に西成山には現われなくなっていた。
さらに一年。
石の壁の前に座っていた若者は、ある日突然立ち上がり、身辺の荷物をまとめはじめた。
そこへ王が久しぶりに現われ、
「おい、おまえ、どこへ行くのだ? この石壁に何かを見つけたのか?」
と問うた。
若者は、
「いえ、先日までは神丹方と五岳図が見えましたが、今日はもう何も見えなくなりました。それでようやく、そういうことか、と気づいたのです」
王はにこりと笑って、
「そうか、ようやく気づいたか。そういうことなのだ」
と答えたのだった。
若者は山を下り、王は雲に乗ってどこかの山に行ってしまい、それから彼らは二度と会わなかった。
この若者こそ、かの名高い神仙の帛祖さまであります。西成山には今でも、彼が三年見つめていた石の壁が残っている。
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晋・葛洪「神仙伝」より。ああよい話だなあ。
しかしみなさんはいつものとおり、
「だから、なんだというのだ?」
ですよね、はいはい。教えても教えてもわからないのだ、そこの何にも書いてない石壁でもずっと見つめ続けているがいいさ・・・。