孟子像
孔子の孫に当たります孔伋(字・子思)が衛の国に滞在していたときのこと。
あるひとが、河で釣をして、
得鰥魚焉。
鰥魚(かんぎょ)を得たり。
「鰥」(かん)という魚を釣り上げた。
「鰥」(かん)は荘子・逍遥遊篇に出てくる巨大な海中の魚「鯤」(こん)と同根の語(「爾雅」の説)で、もともと「巨大な魚」のことである。
この衛のひとが釣り上げた鰥魚も
其大盈車。
その大いさ、車に盈(み)つ。
車一台にいっぱいになるほどの大きさであった。
子思は、その巨大な魚を見て、そのひとに訊ねた。
「鰥魚はまことに得難い魚であると聞いております。あなたはどうやってこれを釣り上げたのか」
すると、そのひとは答えた。
吾始下釣、垂一魴之餌。鰥過而弗視也。
吾はじめ下釣するとき、一魴の餌を垂る。鰥過ぎて視ざるなり。
「魴」(ほう)は「説文解字」によれば「赤い尾の魚である」という。「三才図会」や「和漢三才図会」では海魚(「かがみうお」あるいは「まとうお」)に該てているが、この衛のひとが釣ろうとしたのは河魚であるので、めんどくさいので「ふな」にしておきます。
「わしははじめ、ふな釣り用の餌をつけて釣り糸を垂らしておりました。このときは、鰥魚はこれに見向きもせずに通り過ぎたのでした。
しかし、
更以豚之半体、則呑之矣。
更(か)えて豚の半体を以てするに、すなわちこれを呑めり。
餌を換えて、ブタの体の半分を針につけて誘ってみたところ、鰥魚はこれに食いついたのです」
そこでそれを釣り上げたのである、という。
「ええー! 魚を釣るためにブタの半分をエサにしたのですか! なんともったいない・・・」
と、わたしのような小人はこの釣り人の豪勢なことに驚きました。・・・が、子思はさすがに賢人である。別のことに驚いた。
「ああ。
鰥雖難得、貪以死餌。士雖懐道、貪以死禄矣。
鰥は得がたしといえども、貪(むさ)ぼるに死餌を以てす。士、道を懐(おも)うといえども、貪ぼるに死禄を以てすなり。
鰥魚はまことに得難い魚だというのに、それでも死んだブタという餌に飛びついて、このように釣り上げられるのじゃ。志士もまことの道を得ようと思っていても、得べきでない給与に釣り上げられて、道を誤っていくものなのじゃ!」
と。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「孔叢子」抗志篇による。
言っておきますけど、これは教訓ですからね。みなさんは、
「当たり前じゃないか」
と思って聞いているかも知れませんが、子思は
「給与に目がくらんで道を誤ってはいかんのだぞ」
と教えているのですからね。(こんなことがほんとにわからない人がいる世の中だからなあ・・・)
「孔叢子」という書は、孔子、その孫の子思、さらにその子孫の孔帛(子上)、孔穿(子高)らの言動を、秦の時に焚書坑儒の迫害を逃れた孔鮒(字・子魚)が整理して隠しておいた書、ということになっておりますが、おそらく後漢から魏晋時代の偽作になるものという。
ところで、「鰥」という言葉は、よく「鰥寡独孤」(かんかどっこ)と熟して使われます。これは「孟子」に、
―――聖人の政治というのは、民の中でも「鰥寡独孤」のことを最初に思いやるものだ。
という文脈で出てくる言葉で、
・鰥(かん)=成年して配偶の無い男性。やもお。
・寡(か)=成年して配偶の無い女性。やもめ。
・独(どく)=年老いて子無きひと。ひとりもの。
・孤(こ)=幼くして親無きの子。みなしご。
のことであり、これらが「無告の民」なのである。「妻無きを鰥という」のはすでに尚書、礼記にも見える言葉だそうです。
なお、「なるほど、孟子の言葉は味わいがある。現政権は・・・」とか「ベイシック・インカム制度が・・・」とか言いたいひともあるかも知れませんが、その話はわたくしには興味がありませんので、別のひとと語りあってください。
魚の「鰥」が「やもお」なるものを表すようになったのは「釈名」によれば、
鰥昆也。昆明也。愁悒不寐目恆鰥鰥然也。故其字从魚。魚目恆不閉者也。
鰥は昆(こん)なり。昆は明なり。愁悒(しゅうおう)して寐(いね)られず、恆(つね)に鰥鰥然(かんかんぜん)たるなり。故にその字は魚に从(したが)う。魚目は恆に閉じざるものなり。
「悒」(おう、ゆう)は「憂」と同じ。
「鰥」とは、「昆」と同根なのである。そして「昆」は「明るい、よく見える」という意味である。さて、(成年して妻がいない男は、つれあいを求めて)愁い悩ましくて毎晩眠ることができない。いつも「ぎらぎらとして(目を開けたままで)いる」という状態になっているのである(。この状態が「鰥鰥然」なのだ)。だから、この字には「魚」がついている。魚というのは、まぶたが無く、目を閉じるということが無い生物だからである。
ということなのだそうです。
みなさんは「ぎらぎら」しておられますかな。