わたしが真臘(カンプチア)に行ったとき、その国の古老に教えてもらったことである。
真臘国の王宮の中心には黄金の塔(ストゥーパ)があるのだそうな。
「・・・・・・国王さまは毎日、日が暮れるとこの塔の一階にあるベッドに横になる。
塔之中有九頭蛇精、乃一国之土地主也。
塔の中に九頭蛇の精あり、すなわち一国の土地主なり。
この塔の上には、九つの頭を持つナーガ(ヘビ神)の精霊がお住まいなのじゃ。この方こそ、このカンプチアの地の地主神であられる。」
古老はここで息継ぎするように言葉を止め、
「ひひひ・・・」
と笑った。笑って口を開くと、彼の口には歯が一本も無いのである。
笑い終わると、古老は、再び話しはじめた。
「このナーガさま、
係女身、毎夜則見、国主則先与之同寝交媾。
女身に係り、毎夜すなわち見(あらわ)れ、国主すなわちまずこれと同寝し交媾(こうこう)す。
おなごのかたちをしておられましてな・・・、毎晩毎晩、塔の一階の国王のところに現れて、国王とまぐわいますのじゃ。国王は、夜のはじめにまずこの蛇女神とまぐわわねばならぬ。
この塔には、お妃さまも入れませぬのじゃ。
さて夜更けとなり、さしもの熱帯の王宮にも涼しさ満ちてまいりますころ、国王さまはようやく塔の中から出てみえて、それからお妃さまやそのほかの侍女さまとお休みになられる。ご子孫を遺し、お妃さまらの昼のほてりを冷ましてさしあげねばなりませぬからな、国王さまはお休み前にまたお励みになられねばならぬ」
古老はまたここで言葉を止めた。そして、にやにやと歯の無い口を開けて笑ってみせる。
「そ、それはたいへんですなあ・・・」
とわたしはついつい相槌を打った。
「ひひひ・・・。ところで、
若此精一夜不見、則蕃王死期至。若蕃王一夜不往、則必獲災禍。
もし此の精、一夜見(あら)われずが、すなわち蕃王の死期至る。もし蕃王一夜往かずんば、すなわち必ず災禍を獲るなり。
もしこの蛇女神が一夜でも現れなかったら、我が王の死ぬべきときが近づいたことの証しなのじゃよ。一方で、王が一夜でも塔の中に赴かなければ、女神の激しい怒りを引き起して、王とこの国土にたいへんな災いが起こるのじゃ。
よろしいか。毎晩なのですぞ!
王となって来る日も来る日も、毎晩なのじゃ。ひひひひ・・・・・」
老人は歯の無い歯茎を見せてまたまた笑った。
わしも国王たるものの厳しいつとめに慄然とし、同情せざるを得なかった。
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元・周達観「真臘風土記」第二・宮室条より。
このお話は澁澤龍彦大師が「高丘親王航海記」でネタに使っておられて印象的であった記憶がある。
周達観は元代、浙江・永嘉のひとで草庭逸民と号した。成宗の元貞元年(1295)に真臘に使いし翌年まで滞在、帰朝しており、その時の見聞をまとめたのが、当時の東南アジアの実態を記述した貴重な書であるこの「真臘風土記」である。・・・・・ということは、ちょうど昨日の荊州の若者たちが洞穴に埋まってしまったころ、この書を書いていたことになるのですね。