平成22年3月15日(月)  目次へ  前回に戻る

元の成宗(鉄木耳=ティムール)の大徳年間(1297〜1307)のことである。

荊州南部の山中で、山仕事に出ていた九人の若者が雨に降られ、雨宿りすべく山腹の洞穴の中に逃げ込んだ。

ところがしばらくすると、洞穴の外から獰猛そうな唸り声が聞こえる。

忽有一虎、来踞洞口。哮吼怒視、目光射人。

たちまち一虎の来たりて洞口に踞(うずく)まる有り。

いつの間にか、一頭の虎が現われ、洞穴の入り口の外にうずくまって吼え声を上げているのだ。

「うひゃあ」

このあたりでは山の神として畏れられ尊ばれている虎が、すさまじい怒気で吼えているのである。若者たちは震え上がった。

ところでこの九人の若者の中に、陳というて正直者だが少し愚か、のろまで他の者たちから軽んじられている青年がいた。残りの八人はひそひそと話し合って曰く、

虎若不得人、悪得去。

虎もし人を得ずんば、いずくんぞ去るを得んや。

一人も捕らえ食わずに虎がどこかに去ってくれると思うか。(一人は餌にならないと他の者は助からぬぞ。)

そして、陳に向かっていうに、

「みんなで闘って虎を倒すしかあるまい。おまえ、まず先頭になって虎に飛び掛かるのだ。わしらも後から必ず続くから」

と。

さらに、

「ええい、どうした、陳、勇気を出すのだ!」

と、けしかけてみたが、

「うう、おらの足が動こうとしないのだ」

陳は泣きそうになって首を振るばかりである。

そうこうしているうちに虎の吼え声はさらに大きくなってきた。

「ち、愚図がグズグズしているから山の神がお怒りになってきたのだぞ」

そこでとりあえず、

各解一衣、縛作人形、擲而出之。

おのおの一衣を解き、縛りて人形を作(な)し、擲ちてこれを出だす。

みな上着を脱ぎ、それを帯で縛って人間の形にして、これを投げ出した。

虎がそれに気を取られているうちに逃げ出そうという魂胆だった。

が、虎は振り向きもせず、いよいよ激しく、苛立ったように吼えるのである。

「くそ、こうなったらもうこうするしかない!」

八人は陳を押さえつけ、彼を洞穴の口から外に放り出した。

「ぐぎぎぃ――――――」

陳は恐怖の余り叫び声さえ出せなかったが、虎は彼が放り出されてくるのを見るなり、

即銜至洞口。

即ち銜えて洞口に至る。

その襟のところをくわえて洞穴の出口から引きずり出した。

「いまだ!」

と八人は逃げ出そうとしたが、ちょうどその瞬間、降りしきる雨水によって地盤が軟らかくなっていたのであろうか。

ど・・・、ど・・・、どどどどどどど―――――

激しい轟音とともに、

土洞圧塌。

土洞、圧塌せり。

洞穴の上の地盤が崩れ落ちはじめたのだ。

字書「広雅」にいう、「「塌」は堕なり」と。「落ちる」ことである。

穴の中の若者たちは逃げ出す前に岩石の下敷きとなり、阿鼻叫喚のうちに、

八人皆死。

八人はみな死す。

八人の者はみな死んでしまった。

虎は彼らの死を悲しむように一際大きく吼えた。

そして、立ち上がることのできない陳を背中に乗せ、平坦な地まで運んでくれたのだった。

ああ。

当顛沛患難之際、乃欲以八人之智而陥一人之愚、其用心亦険矣。

顛沛・患難の際に当たって、すなわち八人の智を以て一人の愚を陥いれんとす、その用心また険なるかな。

ひっくりかえりそうな災難に遭ったそのときに、八人の智慧を合わせて愚か者ひとりを落としいれようとしたのだ。彼らの心というのもひどいものだ。

しかし、天はそんなことを許しはしないのである。ニンゲンの智慧などはるかに超えたところで、事態を動かしているものなのだ。

天道果夢夢耶。

天道果たして夢夢(ぼうぼう)たらんや。

天のやり方は、果たしてぼんやりとした夢のようなものだろうか。

否。はっきりした考えのあるものなのではないだろうか。

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元末の陶九成「南村輟耕録」巻二十二より。

最後にきちんと教訓で締めてあるところがいいですね。

みなさんも気をつけてくださいよ。カシコいと思っている者が一番オロカなことをしている、のはあまりにも日常的に観察されることであるから。・・・まあ、カシコいと思っているひとにこんなこと言ってもわからんだろうなあ・・・。

 

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