平成22年3月5日(金)  目次へ  前回に戻る

いい話を聞かせてあげます。来週月曜日の朝礼ででも使ってみてください。

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小田原北條氏の時代、佐野に天徳寺どのとよばれる城主があって、勇将として名高かった。

この天徳寺どのがあるとき琵琶法師を招き、平家物語を語らせたのだが、そのとき注文をつけて、

ただあはれなる事をきき度(た)くこそあれ。其意得して語り候へ。

「とにかく悲しくこころを震わせられるような話を聴きたいのじゃ。そのことをようく心得て弾き語りなされよ。」

と命じたのである。

そして、ぎろぎろと痩せ細った琵琶法師を睨みすえたのである。

戦国の武将の気迫である。悲しいのを歌わないとおそろしい目にあわせられるかも知れません。いかに盲目の琵琶法師とて、その殺気はひしひしと伝わったであろう。側に侍る臣下の豪の者どもも、ごくりと唾を飲み込んで、琵琶法師の答えを待った。

琵琶法師、にこやかに笑うて、

心得候。

「心得ましてござる。」

と言い、びん、びん、と琵琶弾じながら歌い始めたのは・・・・

宇治川の戦いにて、佐々木四郎高綱が梶原景時と先陣を争う話を吟じ始めた。

悲しい場面ではなくて、勇壮窮まりない一節である。

回りの侍たち、どうなることかと天徳寺の方を見ますと、―――

天徳寺あはれがりて雨雫と泣ける。

天徳寺どのは悲しがって、雨のしずくとばかりに涙を流して泣いているのであった。

さて、一曲が終わると、天徳寺、涙をおしのごいながら、

今一曲前の如くあはれなる事をきき度(たく)。

「もう一曲、これと同じように悲しく心震わされるのを聴かせてくれぬか。」

と頼むのである。

すると琵琶法師頷いて、びん、びん、とバチを振るうて今度は、那須与一宗高が屋島で扇の的を射抜く場面を吟じはじめた。

与一一世一代の武功、晴れの場面である。

回りの者たち、今度こそ怒り出すのではないかと天徳寺の方を見ますと、―――

半より天徳寺また落涙数行に及べり。

話の途中から、天徳寺どのはまた涙を落としはじめ、一節を終えるまでに何度も頬を涙が流れ落ちた。

さて。

数日後、天徳寺、家来どもに

「先日の平家物語はよかったのう」

と話しかけた。

家来ども、

「まことに」「みごとにござった」「あっぱれでしたのう」

と口々に当たり障り無い表現で称賛したが、一人がつい、

「まったく勇壮なお話でござった。しかし、殿におかれては

あはれなるかたはすこしも候はぬに御感涙に咽ばれて候、是はいかがの事にて候にや。

悲しいお話では少しも無かったのに、涙を流しむせんでおられた。あれはどうしてでございましたか」

と問うたのであった。

天徳寺はけげんそうに、

「他のみなは悲しかったであろう?」

と周囲を見回す。

臣下の侍ども、

「実はわれらも不審にござりました」

と正直に答えました。

すると、

天徳寺おどろきて、「只今まで各(おのおの)を頼もしく思ひ候しが、今の一言にてさてさて力をおとして候。」

天徳寺どのはびっくりしたようすで、

「たった今までおまえたちを頼もしい武辺の者よと思っていたが、今の一言で、いやまったくがっかりしたわい」

と言い出したのであった。

「よいか、おまえら、考えてもみよ。佐々木高綱は頼朝公から直前に名馬いきづきを賜っている。この馬は頼朝公の弟君範頼さま、頼朝公お気に入りの梶原景時、いずれも欲しがった名馬であったが、頼朝公はそれを佐々木に賜ったのじゃ。その馬に乗りながら先陣を逃したのでは、何の面目あって公に再び目通りすることができよう。討ち死にするしかないではないか。

其志を察して見られよ。あはれなる事かは。

その気持ちを察してみよ。悲しく心震えることではないか。」

とて、しばしば涙を拭ひつつ、しばしあり。

と、何度も何度も涙を拭い、しばらく押し黙ってしまった。

しばらくして、

「また、那須与一も、大勢から選ばれて晴れの場を与えられたのじゃ。馬を海中に入れて的に向かったとき、源平両家の大勢、息をひそめて見守っておるのだ。もし射損じたら源氏方の名をどれほど辱めることになろうか。

馬上にて腹かき切りて海に入らむと覚悟したる、心を察してみられ候へ。

馬上でそのままハラを掻き切って海の中に沈んでしまうしかない、というそのときの思いを察してみよ。

武士の道程あはれなる物は候はず。

武士の道ほど悲しいものはないではないか。

わしは彼らの心を思いやって、自分が槍をとるときも同じ心である、と思い出し、涙を落としたのである。

しかるに各(おのおの)にはあはれになかりしと申さるるにつけては、頼もしからずこそ候へ。

それなのに、おまえたちは悲しい話ではなかったというのだから、わしはがっかりしたのだ」

そう言って立ち上がると、すたすたと奥に入って行ってしまった。

諸臣みな迷惑して、辞(ことば)なかりし。

侍どもはみなどうしていいかわからず、言葉も出なかったという。

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室鳩巣「駿台雑話」義集より。武士の道ほどおろかなるは無かりし、という気もいたしますが、朝礼でうまく使えば職場の士気を揚げることができるかも知れませんので工夫してみてください。

「迷惑」はもちろん近世語では「どうしていいかわからず迷う」という意味ですが、これを現代語の「メイワクする、困らされる」という意味で読んでみてもおもしろいですね。

 

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