「海墨微言」なる書にいう。
清涼寺の僧・海豊という者、苦行を続けること二十余年、超常的な力を身につけた。
なんと、
人見其眉睫間常化仏千百、大如黍米、往来遊行。
ひと、その眉睫の間に常に化仏千百の、大いさ黍米の如く、往来遊行するを見る。
彼の眉とまつげの間にいつも、ホトケさまの像が千数百体、大きさはわずかにキビの穀粒ぐらいしかない小さな物だが、あっちへ行ったりこっちへ行ったりふらふらしているのが、見られるようになったのだ。
はじめは、
「おまえさんのまぶたの上にホトケさまが・・・」
と指摘されて、海豊は目の上をこすってみたのだが、ホトケさまたちは指を避けるように移動して絶対につかまらなかった。
今ではひとにじろじろ見られても気にしないことにしている。
このホトケさまたちは、
己不覚也。
おのれ覚らざるなり。
自分では見えないのだという。
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「雲仙散録」(又は「雲仙雑記」)は、五代・後唐の馮贄が「汗漫録」以下百種の書籍から変な話を集めた書である。この清涼寺の僧の話(第328話)のようなくだらぬ話ばかりである。あんまりくだらぬ話ばかり集めたので、宋の洪容斎先生から
俗間所伝浅妄之書
俗間に伝わるところの浅妄の書
の代表とされてしまった曰くつきの書である。
簡単ですが、今日はこれでおしまい。今日は岩槻郷土資料館、東玉人形博物館を調査してきた。