義興の周氏といえば晋の時代、何人もの名将を輩出した兵家の血筋じゃ。
その家に、処、字を子隠という少年があった。
膂力絶人、不修細行。
膂力ひとに絶し、細行を修めず。
腕っ節は異常なほど強い上に、常識を守るということが無かった。
悪さをしたのである。
郷里のひとたちは彼の悪さに苦しんでいた。
さて、秋の祭りのとき、周処、郷里の老人たちを見回して、言うた。
今時和歳豊。何苦而不楽。
今、時は和し歳は豊かなり。何ぞ苦しみて楽しまざる。
「この秋、まっこと平和な時代で実りも豊かでござる。どうしておじじ方、みな揃ってかように苦しそうな顔をして楽しまないのですか」
じじいども、「ああ」と嘆息して、言うた。
三害未除、何楽之有。
三害いまだ除かず、何の楽しみかこれ有らんや。
「三つの災害がまだ無くなっていないのじゃ。楽しめるはずなどあろうか」
周処、怪訝そうに訊いた。
「三つの災害、とは何ですか」
じじいども、みなぎろりと周処を睨みすえ、そして声をそろえて言うたのだった。
南山白額猛虎、長橋下蛟、併子、為三矣。
南山の白額の猛虎、長橋の下の蛟、子(し)を併せて三と為すなり。
「一つめは南山に住んで人を食らう白いひたいの猛虎。二つめは江にかかる長橋の下に潜み、舟人を襲う大蛇。それに、みなに迷惑をかけるおまえを合わせて、みんなで「三つの災害」と言うておるんじゃ!」
ゲンダイの進んだ考え方からみれば、少年である周処を傷つけるこんな言葉は「少年法」の精神をわきまえていないひどい言い方であることが一目瞭然で、ゲンダイの進んだ考え方をなさる読者のみなさんは怒りに震えることでしょう。しかし、昔のひとだからしようがありません。
今度は周処が嘆息した。天を仰ぎ、胸を叩いて、
「ああ、長老方よ、それほどこの処はみなさんにご迷惑をかけていたのか・・・」
そして、
「わかりました。わたしはおかげさまで人並み優れた膂力を持っております。その三つの害を退治して、みなさまの苦しみを除いてまいりましょう」
と言うて、まず南山に入り、白額の猛虎を射殺した。
次いで、ふんどし一つになって長橋の上から飛び込むと、半刻ばかり経て
搏殺蛟。
蛟を搏殺(はくさつ)す。
大蛇を殴り殺した。
衆人の見守る中、大蛇の死骸とともに浮かび上がってきたのである。
さすがの彼もあちこちに傷を負い、しばらく自宅で療養していたが、この間に、
励志好学有文思、志義烈、言必忠信。克己朞年。
志を励まし学を好んで文思あり、義烈に志し、言えば必ず忠信。克己して朞年なり。
志を立てて学問を好み、文化とは何かを考え、正義を激しくを求め、まごころと思いやりのことしか口にしなくなった。かくして一年、おのれを克服したのである。
「朞年」とは、月の十二回あるいは十三回改まる期間、すなわち満一年のことである。
かくして周処は自分を含めた「三害」を滅ぼしたのであった。
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こうして立派なひとになりました周処は、朝廷に出仕して御史中丞(検察次長)となって弾劾するところ、皇帝のお気に入りであろうが身分高いひとであろうがこれを避けなかった。ついに佞臣らの悪むところとなって、蛮族の長・斉万年なるものが反乱を起こした際に、
「彼は代々の名将の家の出身であったはず」
として、征伐軍の部将として出陣させたのであった。
このとき友人の孫秀は、
「卿には老母がおられるではないか。そのことを理由にして出陣を断ることができるのではないか」
と諌めたが、周処は静かに、
忠孝之道、安得両全。既辞親事君、父母安得而子乎。
忠孝の道はいずくんぞ両全を得んや。既に親を辞し君に事(つか)う、父母いずくんぞ得て子せんか。
「君に忠たることと、親に孝たること、この二つはどうして両立することがあろうか。既にわたしは親のもとを離れて君に仕えているのだから、親の方がどうしてわたしを子として位置づけることができようか」
と答えたのであった。
さて、討伐軍はある会戦で利あらず、晋軍は崩壊し蛮族の兵は周処の陣にまで迫った。将校たちは周だけでも撤退するよう勧めたが、周は一剣を撫でながら、
「今日こそはわたしが国のために働き、なすべきことをなす日なのだ。どうして退くことができようか。いにしえの将軍たちは、出征するとき、わざわざ城門のうち、城内で出た死者を城外の墓場に運ぶときにだけ開かれる「凶門」を潜って出て行ったものなのである。彼らには進むことはあり死ぬことはあっても退くということは無かったのだ。たとえこの場でわたしが一命を取りとめたとしても、
諸君負信、勢必不振。
諸君と信に負(そむ)かば、勢必ず振るわざらん。
きみらとともに枕を並べて死のう、というた約束にそむいてしまうならば、国の勢いは振るわなくなってしまうであろう。
わたしは国家の重臣である。その身を以て国に殉じてもかまうまい」
と言いまして、最期まで白兵戦を試みて死んだのであった。
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晋書巻五十八「周処等列伝」より。前半は「周処三害」というて「蒙求」でも有名な故事である。
いわゆる「勉強をしたのでバカになった」ひとのようにも見えますが、約束を大事にするのはエライですね。
本朝・享保の名儒・室鳩巣先生も約束を貫くのは大事だとおっしゃって、次のように歌うておられる。
ならはじな 児(こ)の手(て)がしはのふたおもて 身は葛(くず)の葉のうらみありとも
コノテガシワの葉の表面はどちらもつるつるして、表と裏の別がない。そんなふうに、二つの方向を見て生きるようにはなりたくない。たとえクズノハノ裏(恨)みを持つべきようなことがあったとしても、わしは一つの思いをつらぬく・・・つもり。
あれ? この歌(「駿台雑話」義の巻所収)は、表裏がある方がいいのか無いのがいいといっているのか、ようく考えてみるとわけがわからなくなってきますね。