「だから何じゃ?」
元和年間(806〜820)のことである。
わし(段成式)の大伯父に当たる段君秀の家に、名高い江淮の術士・王瓊という方がお見えになられ、しばらく滞在されたことがあった。
その間、王瓊はその術の一端を家人に見せてくれた。
まず、そこにいるひとに、一枚の陶器の碗を選ばせる。
王瓊はその碗を受け取り、
画作亀甲懐之。
画いて亀甲を作してこれを懐にす。
それに亀の甲羅のしるし(亀甲マーク)を書き込むと、自分のふところに入れてしまった。
しばらくして、
取出、乃一亀。
取りて出だすに、すなわち一亀なり。
ふところから取り出したのは、なんと一匹の亀であった。
普通の、掌より少し大きめの亀である。もじょもじょと手足を動かしていたが、王に床に置かれ、背中を「ぽん」と叩かれると、たちまち手足と首を甲羅の中に引っ込めてしまった。
その場にいたものが驚いているうちに、王瓊は亀を
放于庭中、循垣而行。
庭中に放てば、垣に循(したが)いて行けり。
庭の中に放した。亀は手足を出すと、垣をめぐって向こう側に行ってしまった。
ゆっくりと。ただし、彼としては精一杯の速度で以て。
あるいはまた、まだつぼみも固い花を庭から取ってきて、
含黙封于容器中、一夕開花。
含黙して容器中に封ずるに、一夕に開花せり。
黙って入れ物の中に入れてふたをしめてしまった。その晩、ふたを開くと、その花は満開になっていたのだった。
王瓊は一旬(十日)ほど滞在して江淮に帰って行ったが、王瓊が出立した次の日、家人がふと庭の垣の向こう側を覗きこむと、一枚の陶器の碗が落ちていた。おそらく、あの亀が
却成瓦子。
却って瓦子と成る。
陶器の碗に戻ったものなのだろう。
その碗には、雨に濡れてほとんど消えかかった亀甲マークが画かれていたのである。
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唐・段成式「酉陽雑俎」巻五より。
ネタに困ると「酉陽雑俎」を開く、というところがありまして、最近少し不調(スランプ)ですね。津波でもどーんと来て根性入れ直してくれるといいのかも知れませんが。
今日は「武蔵野エフエムまちかどコンサート」にて山崎ハコ先生の歌われ、安田裕美さんのギターを弾かるるをお聴きしてきた。曲目は
1.
織江の唄
2.
ヨコハマ
3.
リンゴ追分
4.
BEETLE
5.
会えない時でも
6.
気分を変えて
松野こうき氏も入って
7.横浜ホンキートンク・ブルース
である。
ハコ先生はやっぱりライブで聴くとあの声に「度肝」抜かれるだよ。ついでに「尻子玉」も抜かれてしばらく腑抜けになってしまうだ。一夜頼むぞ妹のオキヨ。
ちなみに、
どぎも(度肝) 肝ヲ甚シク強メテ云フ。
しりこだま(尻子玉) 肛門ノ口ニ有リトスル玉(想像上ニ)。
といずれも「大言海」にあり。「尻子玉」は既に寛政年間には存在した言葉であるという。ご参考までに。