宋の真宗皇帝が東方に巡幸し、泰山で封禅の祭りを行ったとき、合わせて世に埋もれた隠者に面会する、というページェントを行った。
このとき、杞のひと楊朴なる老人、「隠者なり」として皇帝の前に連れてこられたのであった。
しばらくの会話の後、皇帝は
「ご老人、どうぞ都に来て、朕の顧問となっていただきたい」
と申し入れた。
世に埋もれた隠者を見出し、そのひとを登用すること。
これは太平の名君の仕業である。そして真宗皇帝はこれを行った!
―――ということにして、契丹や西夏との関係でいまだ安定しない宋国の皇帝権を安定させよう、と皇帝周辺はシナリオを描いていたのだ。もちろん楊朴が皇帝の言葉に「ありがたきシアワセ」と答えてこのシナリオは完結する・・・はずだったのですが、
しかし楊朴は「唯」(はい)と答えず、難しい顔をして
「いや、しかし、出かけるときに言われて来ましたのでのう・・・」
と首を振るのであった。
皇帝、ぎろりと楊朴を睨みながら、
「いったい誰に何を言われてきたのか」
と問うと、楊朴、深刻な顔で答えた。
臣妻有一首、云、
臣が妻に一首ありて云う、
「やつがれの女房が一篇の詩を作ってくれましたのでござります。こんな詩でござりました。」
更休落魄耽杯酒。 更に休(や)めよ 落魄して杯酒に耽るを。
切莫猖狂愛詠詩。 切になす莫(な)かれ 猖狂(しょうきょう)して詠詩を愛するを。
今日促将官里去、 今日促がされて官里に将(ひき)い去らる、
這回断送老頭皮。 這(こ)の回断送されん 老頭皮。
もうやめなさいよ、たましいを抜かれたようにさかずきのお酒に飲み耽るのは。
絶対だめですよ、あたまがおかしくなったようにへたくそな詩をうれしそうに読み上げるのも。
今日、おまえさまは、お役人らにうながされて、おえらい方のところに連れて行かれるんですから
そんなところでそんなことしたら、「ぽん」と首が飛んで、我が家へお帰りになるのは老いてぺっしゃんこになった頭だけでしょう。
あちこちに俗語を散りばめた、おかしな詩であります。しかしその中に、田夫子(いなかおやじ)が宮廷周辺などに出入りしたら命がいくつあっても足りないことを明確に訴えている。
上大笑、放還山。
上大いに笑い、放ちて山に還す。
皇帝は大いにお笑いになり、解放して山中に帰らせてやった。
おもしろおかしくしてくれたので、「笑って宥すという大度量を見せる」という場面ができて皇帝も喜んだのである。
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隠者の扱いは難しいですね。
東坡居士・蘇軾の「東坡志林」より。いつもながら
「だから何だ?」
と言いたくなってきますが、ひとの世を生きる、という難しいことを、明るく解決していこう、ということを読み取ればいいのでしょう。
ちなみに、真宗皇帝の泰山封禅のことは大中祥符元年(1008)冬のことであると見える。