平成22年2月23日(火)  目次へ  前回に戻る

塔の上には、神仙以外のものもやってくる。

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山東・兗州府城の門楼の最上階に行き、ちょっとした酒と肴を供えてお香を焚く。そうしてから、きちんと認めた挨拶状を焼いて灰を床の上に撒く。

こうしておいて、その晩、再びこの楼に登ると、

夜半必至。

夜半、必ず至る。

真夜中に、必ず来るのである。

・・・何が来るのでしょうか。

年老いた人の形をしたものが、どこからともなく、来るのである。

其人著布衣冠、言貌動作、絶似村学究。

そのひと、布衣冠を著し、言貌動作、絶して村学究に似たり。

そのひとは、官職に無い庶民の着ける冠をかぶり、その物言い、顔かたち、動作のしかたなど、どう見ても田舎の読書人にしか見えない。

このひとに座を進め、礼を尽くして問うに、天地の間、古今の一切のこと、何でも答えてくれるという。

その貴重な記録が遺されているので紹介しておきます。

質問1:あなたのご年齢は?

三百歳矣。

三百歳なり。(三百歳ですじゃ。)

質問2:あなたはどんな質問にも答えてくれる、とのことですが、何か答えてくれないことはありますか。

未来之事不言。

未来のことは言わず。(未来の予言はしませぬ。)

質問3:あなたは狐であるといううわさがありますが、本当ですか。

(否定せず)

質問4:あなたの種族はたくさんおられて、ひとをたぶらかしたり、男女問わず淫猥なることをしたり、たいへん困ったことを仕出かします。責任を感じませんか。

是何言歟。世間有君子小人之分、吾族亦然。其所以淫穢害人者、不過如人間娼妓之流、以誘人財帛作謀生計耳。安得謂之人乎。

これ何の言ぞや。世間に君子・小人の分あり、吾が族また然り。それ淫穢を以て人を害するところのものは、人間の娼妓の流の、ひとの財帛を誘いて生計の謀を作さんとするが如きに過ぎざるのみ。いずくんぞこれを人と謂うを得んや。

「おお、おまえさん、どうしてそんなことを言うのじゃ。おまえさんの知っている世の中にも君子(立派なひと)と小人(だめなやつ)がおりますじゃろう。わしの種族もやはり同様ですのじゃ。エッチなことで人をたぶらかし、たいへん困ったことを仕出かすやつらは、ひとの世界でいう売笑・妓女の類が他人の財産を掠め取って生計を立てようと考えてひとを引っ掛けるのと同じこと。どうしてあいつらを人並みのやつらと呼ぶことができようか」

質問5:しからば、君子(立派なひと)がなすべきことは何だとお考えですか。

一修身、二拝月、如是而已。

一には身を修め、二には月を拝す、かくの如きのみ。

「一つめは己の身を修めて道徳に則った生活を送ること、二つめは月を拝むこと、この二つに尽きますな」

月を拝む、というのがわれらニンゲンのどういう行為に該当するのかよくわからないながらも、これを聞いたひとは感動し、自らも道徳に則った生活をしなければならない、と思い至ったことであった。

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清・梅渓先生・銭泳「履園叢話」巻十六より。

以前も申し上げましたが、チャイナ古典小説でいう「狐」はドウブツの「キツネ」だと思わずに、「狐」という精霊だと思っておいていただくとすっきりします。

城楼の上での召喚儀礼には、ファウスト博士がメフィストフェレスをよびだすときのようなふいんき(←なぜか変換d(ry))がありますが、出てきた狐の老先生はメフィストフェレスのようにおいらの魂ごときのものと引き換えに人生の歓楽を下さるのではなく、「身を修める」ことこそ君子のなすべき事じゃ、とおっしゃるのである。なんとえらいひとだろうか。「がっかり」のひともいるかも知れませんけどね。

 

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