平成22年2月24日(水)  目次へ  前回に戻る

明の半ばのころ、江蘇・呉県に周伯川というひとがおりました。

このひと、何を思い立ったのか、中年に至って突然家を捨てて道士になった。もともと

為人頗有風致。

人となりすこぶる風致あり。

その性格、たいへんおもむきのある風流なひとであった。

のだが、道士になってからはさらに気ままに振舞うようになり、人の家に突然現われる。

これから食事だ、というような時に、門前ににこやかに立っていて、家人に酒を求めるのである。

このとき、

少吝、被需索。

少しく吝せば需索せらる。

少しでも惜しむような風情を見せると、酒のありどころを勝手に探し始めるのである。

そして

酔則飄然而去、略不顧謝。

酔えばすなわち飄然として去り、ほぼ顧謝せず。

すっかり酔うと、ひょうひょうと去っていくだけで、主人に感謝するそぶりもない。

あるひとがこれをなじったところ、バクハツしたように怒った。すなわち大声して曰く、

吾所飲食者、乃天地間物耳。於汝何与焉。

吾が飲食するところは、すなわち天地間の物なるのみ。汝において何ぞ与からんや。

「わしが飲み食いしたのは天地の間にあった物ではないか。お前に何の関係があるのか!」

と。

怒鳴られたひとがひるむと、

「わはははは」

と大笑いして去って行ってしまった。

「怒鳴られただけ損をしました」

というのがそのひとの感想である。

伯川は齢八十になった年に死んだ。

どういう考えであったのか、最期は儒者の服を着て死んだそうである。

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明の王リの「寓圃雑記」巻七より。私有財産制を否定するおそろしい考えのひとですね。昨日の狐老先生の方がずっと立派なひとに見えます。

著者の王リ(おう・き)は字・元禹、宣徳八年(1433)の生まれ、弘治十二年(1499)に亡くなった。江蘇・呉県長洲のひとである。代々農業を営んでいたが、学問を好み、特に妻の父である劉草窗に学んで歴史・考証の学に秀でたといい、生涯仕官せず、故里に隠棲して生を終えた。自ら号して「葦菴処士」あるいは「夢蘇道人」という。「寓圃雑記」の書は郷里の呉中(江蘇)の故実(昔話)を中心に、官吏の悪行・善行をはじめ耳に聞き目に見たものを筆録したものである。

 

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