明の半ばのころ、江蘇・呉県に周伯川というひとがおりました。
このひと、何を思い立ったのか、中年に至って突然家を捨てて道士になった。もともと
為人頗有風致。
人となりすこぶる風致あり。
その性格、たいへんおもむきのある風流なひとであった。
のだが、道士になってからはさらに気ままに振舞うようになり、人の家に突然現われる。
これから食事だ、というような時に、門前ににこやかに立っていて、家人に酒を求めるのである。
このとき、
少吝、被需索。
少しく吝せば需索せらる。
少しでも惜しむような風情を見せると、酒のありどころを勝手に探し始めるのである。
そして
酔則飄然而去、略不顧謝。
酔えばすなわち飄然として去り、ほぼ顧謝せず。
すっかり酔うと、ひょうひょうと去っていくだけで、主人に感謝するそぶりもない。
あるひとがこれをなじったところ、バクハツしたように怒った。すなわち大声して曰く、
吾所飲食者、乃天地間物耳。於汝何与焉。
吾が飲食するところは、すなわち天地間の物なるのみ。汝において何ぞ与からんや。
「わしが飲み食いしたのは天地の間にあった物ではないか。お前に何の関係があるのか!」
と。
怒鳴られたひとがひるむと、
「わはははは」
と大笑いして去って行ってしまった。
「怒鳴られただけ損をしました」
というのがそのひとの感想である。
伯川は齢八十になった年に死んだ。
どういう考えであったのか、最期は儒者の服を着て死んだそうである。
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明の王リの「寓圃雑記」巻七より。私有財産制を否定するおそろしい考えのひとですね。昨日の狐老先生の方がずっと立派なひとに見えます。
著者の王リ(おう・き)は字・元禹、宣徳八年(1433)の生まれ、弘治十二年(1499)に亡くなった。江蘇・呉県長洲のひとである。代々農業を営んでいたが、学問を好み、特に妻の父である劉草窗に学んで歴史・考証の学に秀でたといい、生涯仕官せず、故里に隠棲して生を終えた。自ら号して「葦菴処士」あるいは「夢蘇道人」という。「寓圃雑記」の書は郷里の呉中(江蘇)の故実(昔話)を中心に、官吏の悪行・善行をはじめ耳に聞き目に見たものを筆録したものである。