清初の壬子年(1672)、春二月二十三日。
貴州の鎮遠府にて。
突如として不思議な火球が、町と川を隔てた岸壁から墜ちてきたのだった。
状如星隕、怪風四起、火飛渡河、官署民居、尽成灰燼。
状は星隕の如く、怪風四起し、火は河を飛び渡りて官署・民居ことごとく灰燼と成る。
その様子はまるで隕石が墜ちてきたかのようで、そのとき怪しき風四方より起こって吹き荒れ、火球は河を飛び越えて市街地に飛び込み、役所も民家もことごとく灰燼と化した。
ひとびとは町の裏山に逃げたが、
火復熾、虎豹咆哮、塵霧四塞。
火また熾り、虎豹は咆哮し、塵霧四塞す。
火はまた激しくなり、山中の虎や豹も猛々しく吼え騒ぎ、塵埃や霧が四方の視界を閉ざしてしまった。
ひとびとは怖れおののいた。
日暮火始熄。
日暮れて火始めて熄(や)む。
日の沈むころになってようやく町の火は消えた。
しかし、ひとびとは朝まで山中で震え、世界の終わりかと思われたかという一夜を明かしたのであった。
・・・そうである。
ああ、世界の終わりはもうそこまで迫っているのであろうか。
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清・董華亭「三岡識略」巻六より。
明の遺臣として清朝には消極的不服従を旨としてた華亭老人の20代から70代までに見聞した「事件メモ」である本書は、終末観強くておもしろい。華亭老人は長い間清朝の元号は「使わない」ことにしていたみたいだが、1686年(康煕二十五年である)になると気持ちが変わったのでしょうか、突然「康煕」の元号を使い始めるのもおもしろい。
ちなみに、この書の最後の記述(「続識略補遺下」)は、康煕三十六年(1697)。彼はこの年満年齢で七十三歳のはずである。
臘月中旬、予庭前繍球一株、忽作花数朶。開時姿極爛漫。
臘月中旬、予の庭前の繍球一株、忽ち花を作すこと数朶(すうだ)なり。開時の姿極めて爛漫たり。
「臘月」(ろうげつ)は、十二月のこと。もと、冬至の後に行われる「臘祭」という祭祀に基づく月名である。「繍球」は「繍毬」と同じく、我が国でいう「手まり花」である。
十二月の中ごろ(冬のさなかである)、我が庭先の手まり花のひと株が突然数枝の花をつけた。その花開いた姿きわめて艶やかにして豊満。
「さてこそ、冬のさなかに花開くとは、年の終わりに青春がまた回ってきたというか・・・。本当の春が来るまではさすがに待たせてはくれぬ、ということかな」
因与客沽酒賞之。
よりて客と酒を沽(か)いてこれを賞せり。
そこで、お客に来てもらって、買ってきた酒を酌んで、その花を愛でたのであった。
これで終わり。
また味わい深いことである。
金曜の夜はいつもいつも世界がどうせ滅ぶなら今夜がいいかな、と思います。思いませんか。まあ、ふつうは思いませんよね。