明の萬暦甲戌年(1574)のことである。
済南の蒋某というひと、金繰りに困って、自宅を担保に子銭家(金貸し)から三十金を借りた。
このお金が返せず、ついに子銭家から担保の家を明け渡すよう求められ、間に駔儈(そうかい)を入れて、金二百余を以て売却することとなり、子銭家はこのうち百余金を元利金にあて、残りの百金を蒋に支払った。
「駔儈」は史記の時代から存在する職業で、仲買人=ブローカーのことである。
家を無くした蒋は、しばらくうらぶれながら生きていたが、やがて手持ちの金も尽き、
遂自経死。
遂に自経して死す。
とうとう首をつって死んでしまった。
・・・・・思うにひとの自ら死ぬことも、経済にとっては当然の合理的な行為なのであろう。でなければこんなに毎日毎日経済苦による自死者があるはずないではないか・・・。
さて、蒋が死んでから数日後、蒋の家の売買に関わった駔儈が、町の西門のあたりを歩いていたとき、突然、自分の頭を叩き、
謝蒋生求免。
蒋生に謝して免を求む。
蒋某に謝罪し、許しを求める言葉を口にしはじめた。
そして、急に踵を返すと、そこから一里(600メートル)ばかり離れた自宅に駆け込んで門を閉ざしてしまったのだった。
ところが、
須臾、叩門甚亟。
須臾にして門を叩くこと甚だ亟(すみ)やかなり。
しばらくすると、何者かがたいへん激しく門を叩く音がしはじめた。
あまりに騒がしいので近所のひとも出てきて、何事が起こっているのかと覗き見た。
不思議なことだが、
里人皆聞其声而無所見。
里人みなその声を聞くも見るところ無し。
近所のひとたちはみなその音を聞いたが、覘き見ても門の前には誰の姿も見えないのだ。
駔儈の男もそっと門の外を見て、その異常に気づき、何かを覚悟したようで、妻に、
我死必為所摂。第毋収我、我当放帰。
我死するに必ず摂するところと為らん。ただ我を収むるなかれ、我まさに放帰すべし。
「わしは死んで、おそらく誰かに連れ去られることであろう。しかし、わしの死体を自宅に収容してはならん。わしは絶対に戻ってくるからな。」
と言いおくと、ついに門から出ようとした。
と、
開扉而死。
扉を開きて死す。
門扉を開いたところで、敷居の上で倒れ、死んでしまったのであった。
同じ日、例の子銭家とその妾も死んだ。
良久、妾甦。
やや久しくして、妾甦る。
しばらくして、妾は生き返ってきた。
彼女のいうところでは、
「なんだか暗いところに連れていかれました。一段高いところに立派なお役人姿の府君(冥界の裁判官)らしきひとが見えまして、その府君がわたしの背後の誰かに向かって、
駔儈当質対、妾何為者。
駔儈はまさに質対すべきも、妾は何を為すものぞ。
仲買人はこれから質疑応答してもらわねばならんが、妾の方は何のために連れてきたのだ!
とお叱りになられ、そのあとわたしはまた暗闇の中を通って、気がついたらここに戻っていました。たしか、府君の前には、うちのひとと首をつった蒋某が畏まって座っており、わたしと反対側から仲買人が引っ立てられてきた・・・ように見えましたが、はっきりとは覚えておりません。」
と。
一方、仲買人の死体はそのまま門の敷居の上に放置されていたが、その晩、仲買人の妻の夢の中に仲買人が現われ、
按治未決。
按治いまだ決せず。
「取調べを受けており、まだ結果は出ておらん。」
と告げて消えて行った。
しかし、次の日の真昼間には、その妻の前にぼんやりとした姿で現われ、
収我、我不帰矣。
我を収めよ、我帰らざるなり。
「わしの死体を片付けてくれ。わしはもう帰ってくることができなくなった」
とうちしおれた顔で言うと、門のところで倒れている自分の死体のところまで、すうううう、と移動し、そこで消えてしまった。
妻は泣く泣くその死体を収容し、葬儀を執り行った、ということである。
と、兵部に勤めている韓応元が教えてくれた。
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と、明の于慎行「穀山筆麈」巻十五にあり。
経済を行うことは難しいことである。あるいは蒋某のように自死に追い込まれ、あるいは仲買人のようにエンマさまに連れて行かれるのである。あんまり経済行為はしない方がいいかも。特にパチスロなどの経済行為は・・・(←SA、MT両氏に言うているのである)。
ちなみに、このお話から、「家」が霊的な「安全地帯」(アジール)となっていたことが読み取れますね。