五代十国の乱世のことだ。
江西・豫章の町が戦火に襲われたとき、ここに住んでいた僧・十朋というもの、その弟子たちとともに分寧の町の澄心僧院に避難した。
避難してきた日の夜は月の無い晩であったが、まだ宵の口のころ、
見窗外有光、視之、見団火高広数尺。
窗外に光有るを見、これを視るに、団火の高広数尺なるを見る。
窓の外から光りが入ってくるのが目に入った。なにものであろうと視線を向けると、高さ・幅、いずれも数尺の火の玉があるのが見えた。
「視」と「見」の用法がはっきりする一文ですなあ。
さらによくよく観察すると、この火の玉の中には、
金車子
金色の手押し車
があるのだ。
そして、火の玉は動く。宿坊の隣にある普段は無人の籠もり堂の回りをゆっくりと巡るように動いているようだ。
手押し車も、
与火倶行、嘔軋有声。
火とともに行き、嘔軋(おうあつ)声あり。
火の玉と一緒に移動し、ぎいぎいと音を立てているのである。
「こ、これは・・・」
十朋は驚き怖れたが、宿の主人は落ち着いたものであった。
「御坊、驚きめされるな、
見之数年矣。毎夜必出於西堂西北隅地中、遶堂数周、復没於此。
これを見るに数年なり。毎夜必ず西堂西北隅の地中より出でて、堂を遶(めぐ)ること数周、またここに没す。
アレは、もう数年前から、毎晩必ず現われましてな。西のお堂の西北の隅の地面から出てきて、お堂を数回めぐり、また同じ場所の地面に消えていくのでござるよ」
「ほ、ほほう・・・」
十朋は驚きを隠すことができず、
「その西のお堂の西北の隅の地中には、どんないわれがあるのでしょうかのう」
と訊ねると、主人はぽかんとした顔をして、
「さあ?」
と首をひねる。
十朋、重ねて
「いや、何か悪いものでも埋まっていたりするのではござるまいか?」
と訊ぬるに、主人、いかにも理解できぬというふうに、
以其不為禍福、故無掘視之者。
その禍福を為さざるを以て、故にこれを掘り視る者無し。
「あの火の玉が出たからといって、特段の災いごともも幸いごとも起こるわけではございませんから、誰も地面を掘って中を見てみようなどと思った者はおりませぬが・・・」
と答えたのであった。
しばらくして戦火も収まったので十朋は弟子たちとともに豫章の町に戻ったが、確かに火の玉は毎晩出た。それで、そのころにはもう馴れてしまって不思議とも何とも思わなくなっていた。
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宋・徐鉉「稽神録」巻四より。
読むと、「はあ・・・」と脱力してしまうようなステキなお話でございますね。
この話を引いて、
「毎日の生活に馴れてしまう、というのは怖ろしいことですのじゃ。いつも新鮮な気持ちでいなければいけませんぞ」
などと説教を垂れられるぐらいなら、あなたはかなり鋭い感受性の持ち主と言えましょう。