平成22年1月14日(木)  目次へ  前回に戻る

←在りし日の張楚門先生

清・乾隆年間のこと。

安徽出身の張楚門は学問をしたがなかなかうだつが上がらず、湖南・洞庭湖のほとりで童塾を開いて、子どもたちを教えて暮らしていた。

ある晩、子どもたちに四書の講義をしておりますと、突然、窗からタマゴぐらいの大きさの何か丸いものが飛び込んできて、先生の机の上に

ごろろん、ごろろん

と転がった。

先生も子どもたちも驚いてそれを見つめると、それは――

――タマゴぐらいの大きさの人間の頭部でありました。

「な、なんでちゅかこれはー」

「ひえー」

「こわいこわいー」

と子どもたちは大騒ぎ、先生も茫然としておりますと、その頭は、どんどん大きくなってくる。

タマゴから箕(ザル)ぐらいになり、次いでメシを炊く釜ぐらいの大きさになり、さらに荷車の車輪ほどの大きさになった。

その顔は人生の甘苦を多く味わってきたかのように老成し、眉はほうきの先のごとくもあり、眼は大きな鈴ぐらいもある。そしてその両頬には(貧労階級なのであろう、)垢がびっしりと積もっているのだった。

顔面は、心持ち口のはしを歪めてにやにやと笑いながら、目をぎろぎろさせて先生や子どもたちを睨んだ。

「ぴきぴき〜〜」

子どもたちは震えあがりました。

しかし先生はさすがは知識人である。緊張した面持ちながら、その巨大な顔面に向かって手元の書物を突き出し、

汝識得此字否。

汝、この字を識得するや否や。

き、きみは・・・きみは、この本を読むことができるのかね。

顔面は困ったような顔になり、黙りこんでしまった。

先生曰く、

既不識字、何必装此大面孔対人。

既に字を識らず、何ぞ必ずしもこの大面孔を装おいて人に対さんや。

き、きみは、も、文字を読むこともできぬのに、どうして恥ずかしげもなく、そんなでかいツラをして人様に向かいあうことができるのか。

顔面はさらに困ったような顔になった。

先生は相手が字が読めない階層であるとわかったので、自信を持ったようで、

瞼皮如許厚、無怪汝不省事。

瞼皮かくの如く厚ければ、汝のことを省せざるも怪しむ無し。

たしかにきみのツラの皮は(垢がたまって)厚そうじゃからのう、きみが自分のことを省みることができぬのもおかしなことではあるまいぞ。

そして、

「ひひ、ひひ、ひっひっひ」

と嘲笑しました。

顔面はたいへん恥ずかしそうになり、どんどん小さくなり出した。

車輪から釜ほどになり、釜からザルほどになり、ついでタマゴほどになり、さらに小さくなってマメのようになった。

やがて、それは

錚然堕地。

錚然(そうぜん)として地に堕つ。

「からん」と金属音をさせて、床に落ちて転がった。

「あ、落ちたでちゅ」「な、なんでちたのでちょう?」

拾視之、一枚小銭也。

拾いてこれを視るに、一枚の小銭なり。

これを拾って見たところ、一枚の(使い古された)小銭であった。

「これこれ、こどもたちよ」

先生は子どもたちに諭して曰く、

他長装此大様子、却是一無面目人。

他(かれ)、この大様子を長装すも、却ってこれ一の面目無きの人ならん。

こやつは、自分には大きな意義があるように見せかけていても、実際は何の意義も無いやつであろうと思っていたが、そのとおりであったな。

「おまえたちも文字を読み古人の学問を修めなければ、そのような中身の無いものに振り回されてしまうのだぞ。気をつけることじゃ」

と。

ああ。

銭神変相、文士説法、如是如是。

銭神の変相、文士の説法、かくのごとしかくのごとし。

銭の精霊の変化のあり方、文人学士のひとの道の説き方、こうでなければならぬ、こうでなければならぬ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と感動しているのは沈起鳳というひとです。

沈先生は浙江のひとですから、張楚門の塾にいたわけではないのですが、この場にいた子どもの中には、おとなになって彼の友人になる厳愛亭、銭湘舲といったひとがおり、「彼らはたいへん信用できるひとだ」と言って信憑性を強調しております。もし先生がこの話を本当に信じていたのだとしたら、あほですね。彼は担がれていたのでしょう。

ちなみに沈起鳳は本HP初出ではないかという気がしてきた(平成17年ごろに登場したことがあるような気もしますが・・・)のでご紹介しておきます。起鳳は名で、字は桐威、乾隆六年(1741)に江蘇・呉県に生まれ、賓漁先生と号す。挙人(地方試験の合格者)となって安徽の祁(ぎ)、全椒などで訓導(教育委員長)を勤めたが、詞と戯曲の作者として名高く、詞集である「吹雪詞」や「報恩縁」「才人福」などの戯曲が遺されている。今日のお話は、先生が乾隆五十六年(1791)に著わした志怪小説集「諧鐸」巻三に書いてあったもの。

先生は

自有千秋、莫消稗官野史。

自ずから千秋有るも、稗官・野史に消(もち)うるなかれ。

たとえ千年の人生を与えられたとしても、ゴシップやうわさ話を読むのに使ってはならぬぞ。

と言っていたそうですが、自分は書いていたのです。怪しからん。

ちなみに没年は未詳。まだ生きているかも知れません。

 

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