昨日の続き。
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三年経ったある日、果たして、
有越裳氏重九訳而至、献白雉於周公。
越裳氏(えつしょうし)、九訳を重ねて至り、白雉を周公に献ずるあり。
遠い南方から、越裳(えつしょう)という部族の使いの者がやってきて、白いキジを周公に献上した。彼らの言葉は周の言葉と大いに違うため、九回も通訳を重ねないと通じないのであった。
通訳を重ねて周公に届いた言葉は、
「白いキジはわれらの部族では、めでたいことがあったときの贈答品なのである」
ということであった。
周公曰く、
吾何以見賜也。
吾、何を以て賜を見るか。
わたくしどもには、どのような理由でこれをいただけましたのでしょうか。
この言葉が九回訳されて使いの者に伝えられると、使いの者は頷いて、「○■△▼!」とか何とか言うた。
この言葉がまた九回訳されて、周公に伝えられる。
九人目の通訳が言うには、
吾受命国之黄髪。
吾、命を国の黄髪に受く。
わたしは、我が部族の長老たちに命ぜられてきたのです。
「黄髪」とは、「白髪」と同じ。黒かった髪が黄色に変じた老人をいう。
「その長老たちが言うには、
久矣、天之不迅風疾雨也、海之不波溢也。三年於茲矣。
久しいかな、天の迅風疾雨せず、海の波溢れざるや。茲(ここ)に三年なり。
ずいぶん長いこと、空には速い風が吹いたり、激しい雨が降ったりすることが無く、海には高波が岸辺に溢れることも無い。そのようなことがもう三年にもなる」
「不迅風疾雨」とか「不波溢」とか、いかにも直訳したような固い言葉である。
「長老たちは部族の聖なる地に集り、このことを議して、われらに言うたのでございます。
意者、中国殆有聖人。蓋往朝之。於是来也。
意(おも)うに、中国にほとんど聖人あらん。なんぞ往きてこれに朝せざる、と。是こにおいて来たれり。
「どうやら、中国に聖人が出現したのかも知れんな。だとすれば、どうしてはるばる出かけて、その方に朝見しないでいられようか」
と。そこで、わたしが使わされてきたのでございます。」
「蓋」は、今の読み方だと「ゴウ」ですが、歴史的仮名遣いでは「が・ふ」と書きますとおり、チュウゴクの古代の発音でも「何・不」((か・ふ)という二音と非常に近かった。そこで、「何不・・・」(何ぞ・・・せざる?)という反語文を構成する二字の替わりに使われることがあります。
これを聞いて、周公は白いキジを押し頂き、使者を賓客としてもてなしたのであった。
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これが、「詩経・大雅・下武」にいう
於万斯年、不遐有佐。
ああ、万々年、遐(とお)く佐有り。
「斯」は助字で、直上の字が重複することを示す。また、「於」は感嘆の発語で「ああ」、「不」は語調を整えるための助字で、ここでは特に意味はない、とされる。
ああ、末永く末永く、遠いところから助けのひとが来てくれる。
ということなのである。
・・・と韓嬰先生が言うので、われらは「唯々」(いい。「はいはい」)と返事だけはいい返事をしたものであった。
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ちなみに、この「下武」の詩は、周王朝の権威が高くなったことを寿ぐ歌ですが、この「於万斯年・・・」の句の前に
永言配命、成王之孚。
という句があります。
@ 毛派の詩学では、この句を
永く言(ここ)に命を配すは、王を成すの孚(ふ)なり。
永遠にここ(周の都)に、先代の王たちとともに褒め称えられるのは、王としてなすべきことを完成させた威信そのものなのだ。
と読んで、この詩でほめられているのは周を統一王朝に押し上げた武王のことである、とする。
A これに対し、韓派の詩学では、この句を、
永く言(ここ)に命を配すは、成王の孚なり。
永遠にここ(周の都)に、先代の王たちとともに褒め称えられるのは、成王の威信そのものなのだ。
と読んで、これは武王の子の成王をたたえる歌だ、とする。
という違いがある。
前漢の時代は韓派の方が権威がありましたが、後世には毛派の学が伝わりました。したがいまして、上記で「われら」は韓嬰先生のA説に立った授業を「はいはい」と言うて聞いてましたが、このまま科挙試験を受けたら×になるので要注意です。
「韓詩外伝」巻五より。
・・・ところでさらにちなみに。この「越裳氏」の来朝説話は(ご承知のとおり)、後漢書・巻116「南蛮伝」に引用されて有名ですが、それによると越裳氏は
交趾の南にあり。
とされているので、今でいう中部ベトナムあたり、ということにされているようです。もちろん、紀元前11世紀にそんなところから使いは来ませんので、史実だと思わないように。(なお、後漢書では、越裳氏→周のことばの間には「九訳」ではなく「重訳」が必要、とされています。「何度も通訳を入れる」というぐらいの意味ですから、「九回通訳を入れる」よりは合理化されていますね。)