このお話は寓話であって実際の歴史的事実ではありませんからね。
こう断っておかないと、みなさんには、
「さすがチュウゴク、紀元前11世紀にはもう・・・・・・だったのか!」
と勝手に思い込んでしまうくせがあります。文化的事大主義ともうしましょうか・・・。
この世のどこかに、黄泉平坂があって、そこから地下の世界に入っていける。
といわれたら、「ばーか。それはうそだね」と即座に断言できるほどの知性をお持ちでございますのになあ。閑話休題。
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韓嬰先生のわれらに言うことには、
「成王のときのことである」
と。
成王とは周の第二代の王様で、叔父にあたる周公の補佐を受けて周の国の諸制度を定めた方です。その在位は紀元前11世紀の後半であるとされる。
「へー。むかちむかちのことなのでちゅね」
とわれらは実際には興味など無いのに興味深そうに答えた。
「そうなんじゃ」
先生はわれらの興味深そうなのを見て、満足そうに頷きながらお続けになった。
「成王が位に就かれ、周公の補佐により、まじめに政治をいたしましたのじゃ。何年もしたら国がよく治まった。
そのころ、
有三苗貫桑而生、同為一秀、大幾満車、長幾充箱。
三苗の桑を貫きて生じ、同じく一秀と為りて、大ほとんど車に満ち、長ほとんど箱に充つる有り。
三本のイネ科植物の苗が桑の木(のウロ)の中から生え出て、穂のところで一つとなったのが見つかった。その大きさは馬車いっぱいになるほどであり、その長さは馬車に載せる箱いっぱいになるほどであった。
「これは珍しい」
「おうさまにお見せするだ」
ひとびとは王様にお見せしようと思って宮殿に持ちこんできたのである。
成王はこれを見て、叔父で宰相の賢者・周公に
此何物也。
これ何物ぞや。
「おじ上、これは何のしるしでございましょうかのう」
と問うた。
「そんなこと言われてもわかるか」と言うかと思いましたが、周公は頷き、
三苗同為一秀、意者天下殆同一也。
三苗の同じく一秀と為るは、意(おも)に天下ほとんど同一なるなり。
三本のイネ科植物の苗が、穂のところで一つとなっているのです。思うにこれは、天が下の世界が、ほとんど一統されたことを象徴しているのではありますまいか。
と答えたのであった。
そうか。
なるほどなあ。
――それから三年経った。果たして・・・
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今日はここまで。「韓詩外伝」巻五より。