ああ、ついに八月である。
一
――どんどんイヤなことが近づいてきておりますよー。早く逃げないと危いよー。
と、先生がおっしゃるので、わしは
「どこへ逃げればよろしいのでしょうかねー」
と問うた。
先生がいうには、
鳥棲高枝、弾射難加。魚潜深淵、網釣不及。
鳥、高枝に棲まば、弾射加え難し。魚、深淵に潜まば、網釣及ばず。
――鳥が常識より高い枝に巣くえば、猟師の弾や矢も届かないですよー。魚がはるかに深い淵に潜っていれば、漁師の網も釣り糸も届かないですよー。
「しからばニンゲンはどうすればよろしいのでしょうか」
先生がいうには、
士隠岩穴、禍患焉至。
士、岩穴に隠るれば、禍患焉くんぞ至らんや。
――読書人が山中の洞くつに隠れ住んでしまえば、この世のイヤなことがどうしてそこまでやってくるだろうか。
「なるほどですねー」
とわしは答えたのであった。
二
――だいたいおまえは何で市朝(市場や朝廷。都市で経済や行政に携わる場所)に暮らしているのだよー。
と先生がお訊ねになるので、
「うーん、やっぱり生活のため、メシを食うため、ですかねー」
と答えると、先生がいう、
投刺空労、原非生計。曳裾自屈、豈是交遊。
刺を投じて空しく労するは、もと生計にあらず。裾を曳いて自ら屈するは、あにこれ交遊ならんや。
――名刺を差し出してえらいひとのところをいたずらに歩き回るのが、生計を立てるということなのですか。衣服の裾が地面につくまで腰を折り自ら頭を下げるのが、人付き合いということなのですか。どこかで間違ってしまっているのではないですか。
「うーん、そうですよねー。自分の手で何かを作り出して、それを別のひとの作ったものと交換して、食べる。それが「生計」ですよね。また、人と付き合うのは楽しいものであるはずなのに、なぜこんなにイヤなのだろう」
先生がいう、
不作風波于世上、自無冰炭到胸中。
世上に風波を作(おこ)さざれば、自ずから冰炭の胸中に到る無からん。
――風が波を起こすのですよー。おまえ自身が他者のいる社会の中で動くことをやめれば、波は起こることがないのですよー。おまえに対して他者から「うれしいこと」も「イヤなこと」もやってくるはずがないではないですか。
「ああやっぱりそうですよねー、社会から外れないとねー」
とわしは頷いた。
そうだ、秋までにはこの社会から外れるのだ。
三
――そうですよ、それはいいことですよー。
と先生はおっしゃる。
秋月当天、繊雲都浄、露座空闊去処、清光冷浸、此身如在水晶宮裡、令人心胆澄徹。
秋月天に当り、繊雲すべて浄きに、空闊去処に露座すれば、清光冷浸して、この身は水晶宮裡にあるが如く、ひとの心胆をして澄徹せしむ。
――秋の月が天空にあり、かすかな雲もすべて消えてしまったとき、おまえは広々とした屋根の無いところに行って座り、清々しい光がひえびえとおまえのからだを浸していくのを感じるがいいよー。おまえの体は上天の水晶宮の中にあるようで、おまえの心臓も肝胆も透き通ることであろうよー。
「そうですよねー、わたしも思います、
半塢白雲耕不尽。
半塢(はん・う)の白雲、耕すも尽きず。
畝と畝の間から白い雲が沸きだすような山中の畠で、畝の間の半分もわたくしに頂いて農耕させていただければ、生産物も健康な心もどんどん湧いてくることでしょうねー。」
すると先生はにやりと笑いて答えていう、
――わしはその山中で漁師になっているから、夜になったらおまえを訪ねて行ってあげるよー。しかし、
一潭明月釣無痕。
一潭の明月、釣るも痕無し。
――淵の明月を釣ろうとしても、釣り上げたと思ったらもとに戻る。
だから手土産はいつも明月の「光だけ」だよー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
漢文の部分は「小窗幽記」巻二より。地の部分はわしの心が生み出した新自由主義、家族絶対主義、優しいサヨク主義などもろもろに反する恐ろしい妄想。