大食いのことではございません。
大暦元年(766)冬。
荊州・白帝城において、わたしは兵馬使の趙公に拝謁した。
「せっかくのお客人じゃ。・・・そうじゃ、珍しいものをお見せしよう」
と言うて趙公、執事に頤をしゃくって合図する。執事は一度頷いて、姿を消した。
しばらくの間を置いて、執事は、まるで三日月のように彎曲した、細長くて、長さは真っ直ぐに引き伸ばせば四尺〜五尺もあろうかというモノを捧げ持って戻ってきた。
「ご覧あれ」
これは、鞘におさめられているとはいえ、剣である。おそろしく彎曲した作りになっているから、鞘を抜くのも技術を要するに違いない。
「これは胡国――ペルシアより渡ってきた、大食刀(タージク刀)でござる」
――ああ!
話には聞いていたが、実際に見るのは始めてであった。これが遥か西、荒れ果てた砂漠の民・大食(タージク)の刀か。
「このように彎曲しておりまするで、たやすくは使えませぬ・・・おい」
趙公が声をかけると、庭先に一人の男が控えた。
「抜いて、お見せせよ」
「は」
その男、見るに紫の髯、碧色の瞳、胡国の血を引く者と知れる。
壮士短衣頭虎毛、 壮士、短衣にして頭虎毛(とうこもう)、
憑軒抜鞘天為高。 軒に憑(よ)り鞘を抜けば、天ために高し。
そのますらおは(行動に便利な)袖の短い胡服を着け、頭には虎の毛の飾りをなびかせていた。
軒先で彎曲した鞘から刀を抜くと、ああ、見よ、刀の光を避けて、空が一段と高まるのを。
・・・実際にそんなことが起こると超常現象ですが、ここは詩的誇張というものであろう。
「えい!」
男が刀を振るうと、
翻風転日木怒号、 風を翻し日を転じ、木は怒号し、
冰翼雪澹傷哀猱。 冰は翼(と)び雪澹(うご)き哀猱(あいどう)を傷(いた)ましむ。
つむじ風が巻き起こり、太陽さえ回転し、林の木々は怒れるごとくごうごうと鳴る。
山々の氷は弾け飛び、降り積もった雪は動き出し、気弱なサルは何ごとが起こったかと驚き悲しむ。
・・・実際にそんなことが起こるような刀ならすごいですが、これも詩的誇張であろう。
それにしてもこの刀の刀身の光はどうだ。
緑の壷に入れられた膏よりも妖しく、秋の水よりもまばゆく輝いているではないか。
わたしが言葉無く見つめていると、趙公はやおら立ち上がり、廊の外れまで歩き出て、庭先の男に
「剣を貸せ」
と命じた。
男は、抜き身の剣をくるりと持ち替え、鞘の方を公に向かって差し出す。
趙公もまた武人なのである。剣の妖しい光に気を高ぶらせたに違いない。
公は刀を受け取るや、それを振るうて歌を吟じ始めた。
趙公玉立高歌起、 趙公玉立して高歌起こり、
攬環結佩相終始。 環を攬(と)り、結佩(けっぱい)して相終始す。
趙公は玉のようにゆらりと立って高らかに歌を歌い、
柄の先の環(わ)と手に持って紐で腰に結び付け、いつまでも離れないようにした。
その歌は、こうである。
万歳持之護天子、 万歳これを持して天子を護り、
得君乱糸与君理。 君が乱糸を得て君がために理(おさ)めん。
とことわに、この刀を手に持ちて、天子さまをお守りしよう。
あの方の治める世界に乱れの糸先でもあれば、それを摑まえてあの方のために切りそろえて進ぜよう。
おお。この剣とこのひとがあれば――
賊臣悪子も紀律を侵すことはできないであろう。
魑魅魍魎もその影響を及ぼすことはできないであろう。
今、まだなお四川には反乱軍が力を貯えているらしいが、それももうしばらくのこと。
趙公が大食刀を引っさげて、天下に平和をもたらすであろう。
・・・そうは上手く行かないのですが、これも詩的誇張ということで無問題。
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文中の「わたし」は杜甫、字・子美でした。杜先生は趙公のところに幕客として仕事をもらいに行ったのではないかと思うのですが、雇われた形跡はありません。厳しい。「荊南兵馬使太常卿趙公、大食刀歌」。