王漁洋先生がいう。
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蔡天祐、字・石岡は明の弘治年間(1488〜1505)の進士である。方厳正直と称された誠実なひとであったが、「見鬼」の能力を持っていたらしく、その生涯には精怪や心霊に出会ったということが甚だ多かった。
あるとき公務で山西に出張し、とある宿場の高級役人用の宿舎(我が国の「本陣」というに近い)に泊まることになったが、この宿舎は近年「鬼」(幽霊)が出るというて噂のあるところであった。宿場の下役人はそのことを正直に言い、宿所を替えるよう申し出たが、蔡石岡は
「くだらぬ」
と叱り飛ばしたのであった。
下役人は、
「お信じになられぬかも知れませぬが、う、うそではございませぬぞ、で、で、出るのでございますぞ、あわわわ」
と気色ばんだが、蔡は
「いや、この世にはそういうことが多くある、ということは、わたしはようく知っておる。そういうモノたちにはしかるべく対応してやればいいのだ。しかるべき対応もせずに逃げるばかりでは、彼らの言いたいこともわからぬではないか」
と答えたのであった。
「い、いや、ほんとに出るのですぞ、あわわわわ」
下役人は失礼があってはならぬと思うてか、さらに忠告したが、蔡の従者が
「うちの旦那は心配しなくて大丈夫なのですよ、そういうのに馴れてるから」
と事も無げに言い、
「わたしはコワいので別の宿屋に泊まります。明日の朝、お出迎えにあがります」
と、下役人を連れて引き上げてしまったのであった。
「ふむ」
蔡はひとり、宿場の正室に灯りをともし、ベッドの傍らに剣を置いた。
深夜に近く、蔡が読書を止めて灯を消そうかとしたとき、
ふう・・・
と風が吹いて、扉が音も無く開いたのだった。
――なにものか?
いや、扉が開いただけである。風の吹いたせいで、灯火が少し揺れ、そして、消えた。
闇が広がった。
われらの目に見えたのはそれだけである。
だが、「見鬼」の能力を持つ蔡には、別のものが既に見えているようで、ベッドの上に起き上がって座りなおすと、闇に向かって
「おまえは何ものだね? もしもなにか伝えたいことがあるのなら、言ってごらん。わたしは役人だから、おまえの言いたいことを聞いてあげられるかも知れぬ。特に何か伝えたいことが無いのなら、もうこんないたずらは止めて、おまえの行くべきところに行くといい」
と喩すように穏やかに語りかけたのであった。
しばらく闇を見つめていたあと、
「わかった。おまえの後についていこう」
と言うて、蔡はベッドから下り、右手に傍らの剣を持ち、鞘を払った。
それから、
「ふ」
と小さく笑って、
「いや、案じなくていい、別のことをするだけだから」
と独り言のように言い、
「そちらの方か」
と声にしながら闇の中を歩き始めた。
室を出、廊下を過ぎ、裏庭に出る。
月明かりの下に出た。
月明かりの下でも、蔡はやはり、一人である。・・・とわれらの目には見えた。
右手に抜き身の剣を持ちながら
「そう急ぐな、わたしはまだ生きているので、足元にも気を向けねばならんのだ」
と数歩前に向かって声をかけて歩いている蔡の行動は、傍目には常軌を逸している。
しかし、蔡は歩きながら、道筋が左右に折れるごとに、剣の先でその場所の破れ垣や楊の幹や土壁などに印をつけていたのである。
「あはは、おまえと違って生きているので、帰り道を覚えておかねばならぬからな」
と穏やかなものである。
「そうだ、むかしはこういうことがわからなくて、帰り道に一晩中迷ったこともあったんだよ」
独り言のように聞こえるのだが、これは数歩前の何かに語りかけているのであった。
やがて、崩れかけた井戸の前に出た。
ここはどこかの屋敷の裏庭だろうか。屋敷は無人であるようであり、井戸は既に使われなくなって久しいようだ。
「うむ」
蔡は井戸の前で立ち止まり、
「わかった。ここだな」
と頷いた。
「明日、必ず来る」
と言いながら、井戸の覆い屋の横木に剣を乗せた。
「これ? これは印だよ」
井戸の方に向かってそう言うと、ゆっくりと元来た道を帰ってきたのであった。
本文に、
帰而酣寝、及暁。
帰りて酣寝し、暁に及ぶ。
部屋に戻ってぐっすりと朝方まで眠った。
と書いてあるので、ぐっすり眠ったようです。
朝になると、従者が宿場の下役人とともにやってきました。
「おはようございます、旦那さま」
「おお、ご無事でございましたか」
と挨拶する二人に、
「おはよう。それでは二人ともついてきてくれ」
と答えて、蔡は日の光の下、昨日の道を出かけたのであった。あちこちに昨夜、剣でつけた傷が残っている。
そして、横木に剣の懸けられた壊れた井戸の前までやってきた。
「ここだ、ここだ。よし、この井戸の中を探ってみてくれ」
「うひゃあ、かなりイヤですね」
と言いながらも、従者は既に昨日からこの種の結果になることを予想していたらしく、持参してきた縄を自分の体に結び付け、縄の端を近くの木の幹にしっかり結びつけて、井戸の中に下りて行った。
「おお、あります・・・骸骨になっています・・・、三〜四年以上では・・・。合図したら引っ張ってくださいよ・・・」
従者は、やがて、骸骨を拾い上げてきたのであった。
蔡は骸骨を地面に置くと、
「よし、これはこれできちんと葬ってやってくれ」
と宿場役人に命じ、さらに、
「この屍は、以前にここで殺されて井戸に投げ込まれた、と昨夜言っていったのだ」
と言い出した。
「は、はあ・・・」
宿場役人は反す言葉を失ったが、蔡は、
「ここはどうやらその屋敷の裏庭らしいが、この屋敷は一体誰のものなのかね」
と訊ねた。
「ここですか。ここは以前甲某の住んでいた家ですが、そやつは今は町の中心の方にもっと大きな屋敷を作って移り住んでおります」
「よし、その甲某を連れてまいれ」
連行されてきた甲某は、井戸の前の骸骨を見ると、ついに観念して一部始終を話し始めた。それによると、もとこの死骸の主は行商人で古い友人であった甲の家に某年某月某日に泊まった者であったが、その日は珍しい宝物を運んでおり、甲はそれに目がくらんで彼を部屋で絞殺し、この井戸に投げ込んだものであった。
その宝物は高価に売れ、それから甲の家は富貴を致すに至ったが、一方で毎夜のように井戸からうめき声が聞こえたり怪異が治まらぬので、ついにこの家を離れ、表通りの一等地に家族とともに移り住んだ。しかし、この家を人に売り渡すわけにも行かず、ずっと保有して空き家にしていたのである。
蔡はすぐに地方官に連絡して、甲を正当な裁きにかけることにした。
自後、駅遂無他。
自後、駅、ついに他無し。
これ以降、この宿場には特に変わったことは起こらなくなった。
これは、蔡の同郷の後輩である湯荊峴先生からお聞きしたお話の一つである。
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と、「池北偶談」巻二十五に書いてありました。「見鬼者」は便利に思えますが本人にとってはあちこちで他人に見えないものが見えると、めんどくさいことが多くてイヤでしょうね。