平成21年 7月22日(水)  目次へ  昨日に戻る

建始三年(前30)冬。

日食地震同日倶発。

日食・地震、同日ともに発す。

同じ日のうちに日食と地震がともに起こることがあった。

そこで漢・成帝は広く天下に詔りし、世の中に何か滞ることがあってはならぬから、朕に方正にして直言極諌する者のあることを求めた。

谷永、字・子雲は長安のひとで、このとき太常丞であったが、上疏して曰く、

竊聞明王即位正五事、建大中以承天心、則庶徴序於下、日月理於上。

竊(ひそ)かに聞く、明王即位して五事を正し、大中を建てて天心を承くれば、すなわち庶徴は下に序し日月は上に理(おさ)まる。

わたくし、このような秘密の学説を聞いたことがございます。

賢明なる王が位について、「五つの事」を正し、大いなる中央の柱を立てて天の思いを受け取ることができたならば、すなわち、地上には(善政の)印が多く見られ、天上には太陽と月が規則正しく運行するであろう。

「五事」とは、「貌・言・視・聴・思」(かおかたち、発することば、視線、聴く言葉・音楽、思考)のことで、これらは君子が慎むべきこと、とされる。「大中」は「皇極」、すなわち宇宙の芯として天地を貫く「柱」のことをいいます。もちろん、これは象徴的なものである。(もしかしたら実際にこのような「世界柱」が立っているのを幻視できるひとがいるかも知れません。そういうひとは・・・その能力を大切にしてくださいネ)

一方で、

若人君淫蕩後宮、般楽遊田、五事失於躬、大中之道不立、則咎徴降而六極至。

もし人君後宮に淫蕩し、楽に般し田に遊び、五事躬に失われ、大中の道立たざれば、すなわち咎徴降りて六極至る、と。

もしも王者が後宮でアヘアヘに耽り、宴楽を専らとし狩猟にうつつを抜かし、「五つの事」の慎みはその身から失われ、大いなる中央の柱を立てる方法が無くなってしまえば、悪い兆しが地上に降り、「六つのどえらいこと」が起こるであろう。

唐・顔師古の注によれば、「六極」(六つのどえらいこと)とは次のとおり。

@    凶短折(不意に若死にすること)

A    疾(病気)

B   

C   

D   

E   

ああ、おそろしいことです。こんなことになってしまわないように、王者は気をつけねばならない。

――ところが、今、上の「悪い兆し」すなわち「咎徴」である日食と地震が起こった。

二者同日倶発以丁寧陛下。

二者同日にして倶に発するは、以て陛下に丁寧するなり。

二つの兆しが同日に起こった、というのは、陛下に丁寧な警告を発してくれているのでございます。

同じく顔師古によれば、「丁寧」は「再三告示す」(二度も三度も告げ示す)ということである。

――ああ、おそろしい。どうぞ、いろいろと気をつけて、その原因を陛下ご自身に探さねばなりませぬ。わたくしの思うに、どうも陛下の後宮におけるご寵愛が中を失しているのではないかと・・・。

と続きまして、いわゆる外戚批判へとつながっていくのですが、以下省略。

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「漢書」巻八十五・谷永伝より。これが「丁寧」という熟語の語源である・・・はず。

ちなみに、少し気になったので、紀元前30年以降の漢の大事件を見てみると、

前29 黄河決壊、南山賊平定、烏孫兵来寇(敦煌)

前28 黄河修復、死刑等の緩和

前27 匈奴部族来降(←谷永らの献言で降伏を受けず)、夜郎夷平定

前26 四川地震

とありまして、あんまり大したことないではないか・・・と思ったのですが、実は前27年に、外戚の王氏の五人の兄弟が一時に列侯される、ということが起こっております(「王氏五侯」)。この五侯の一族に王莽がおり、紀元前16年に新都侯に封ぜられ、前8年には大司馬、後1年に安漢公、後4年に摂皇帝、ついに8年末に「漢」を滅ぼし、「新」を建てて自ら即位した。ということですから、ああやっぱり亡国の兆しだったのだなあ・・・。

今日は日食はあったけど地震はなかったので、「まだいいや」と思っていたりしませんか? 

 ↑

(これ、この国の主権者のみなさんに対して言っているのだよ。)

 

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