則天武后の治世のとき。
地方官として成績を上げて、中央に呼ばれてきた官僚があった。
まだ若いが、その容姿は決して風采が上がる、というほどでもない。
武后、彼が挨拶に来ると、曰く、
卿在汝南、甚有善政。欲知譖卿者乎。
卿、汝南に在りて甚だ善政有り。卿を譖(そし)る者を知らんと欲するか。
おまえは汝南県でずいぶんよいまつりごとをしたそうだねえ。そこでおまえを中央に抜擢したんだが、おまえを謗る者もいたんだよ。そうだ、善政のご褒美に、おまえを謗った者の名前を教えてやろうかね。
その官僚は無表情に答えた。
陛下以臣為過、臣当改之。陛下明言、臣之幸也。若臣不知譖者、並為友善。臣請不知。
陛下、臣を以て過ちありと為さば、臣まさにこれを改めむべし。陛下明言するは臣の幸いなり。もし臣、譖る者を知らざれば並びに友善を為さん。臣知らざるを請う。
陛下。陛下ご自身が、わたくしに過ちがあった、と思し召しなら、わたくしはそれを改めなければなりませぬから、陛下が「どこが間違っていた」とおっしゃってくだされば、わたくしにとっては大変ありがたいことでございます。一方、わたくしは、自分をそしった者を知らないままなら、その者ともこれまでどおり仲良くしていけます。わたくしとしては、誰がわたくしの間違いを告げたか、については知らないでおきとうございます。
謗られた内容はお教え願いたいが、誰が告げ口したかは知りたくないのだ、というのである。
則天武后は大いに頷き、
「特に言うことはないねえ」
と言うて彼を引き下がらせた。
その姿が見えなくなると、
深加嘆異。
深く嘆異を加う。
「大した男だねえ」とためいきをついた。
この男こそ、則天朝を通じて幾多の功績を上げ、後にはついに武后に説いてその政を唐朝の皇帝に返さしめて、唐一代の名臣と称せられる狄仁傑そのひとである。
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唐・劉粛「大唐新語」巻七より。だからどうしろ、というわけでもないのです。今日も暑かったですね。官僚たちにも夏があったですかなあ。