平成21年 7月15日(水)  目次へ  昨日に戻る

則天武后の治世のとき。

地方官として成績を上げて、中央に呼ばれてきた官僚があった。

まだ若いが、その容姿は決して風采が上がる、というほどでもない。

武后、彼が挨拶に来ると、曰く、

卿在汝南、甚有善政。欲知譖卿者乎。

卿、汝南に在りて甚だ善政有り。卿を譖(そし)る者を知らんと欲するか。

おまえは汝南県でずいぶんよいまつりごとをしたそうだねえ。そこでおまえを中央に抜擢したんだが、おまえを謗る者もいたんだよ。そうだ、善政のご褒美に、おまえを謗った者の名前を教えてやろうかね。

その官僚は無表情に答えた。

陛下以臣為過、臣当改之。陛下明言、臣之幸也。若臣不知譖者、並為友善。臣請不知。

陛下、臣を以て過ちありと為さば、臣まさにこれを改めむべし。陛下明言するは臣の幸いなり。もし臣、譖る者を知らざれば並びに友善を為さん。臣知らざるを請う。

陛下。陛下ご自身が、わたくしに過ちがあった、と思し召しなら、わたくしはそれを改めなければなりませぬから、陛下が「どこが間違っていた」とおっしゃってくだされば、わたくしにとっては大変ありがたいことでございます。一方、わたくしは、自分をそしった者を知らないままなら、その者ともこれまでどおり仲良くしていけます。わたくしとしては、誰がわたくしの間違いを告げたか、については知らないでおきとうございます。

謗られた内容はお教え願いたいが、誰が告げ口したかは知りたくないのだ、というのである。

則天武后は大いに頷き、

「特に言うことはないねえ」

と言うて彼を引き下がらせた。

その姿が見えなくなると、

深加嘆異。

深く嘆異を加う。

「大した男だねえ」とためいきをついた。

この男こそ、則天朝を通じて幾多の功績を上げ、後にはついに武后に説いてその政を唐朝の皇帝に返さしめて、唐一代の名臣と称せられる狄仁傑そのひとである。

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唐・劉粛「大唐新語」巻七より。だからどうしろ、というわけでもないのです。今日も暑かったですね。官僚たちにも夏があったですかなあ。

 

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