6月15日から続く。
・・・わしとおっさんの修道者は、潜り戸の方に行ってみたのであった。
その間にも、関門の上でじじい(張なんとかというエラいひとらしいが)の声が聞こえてまいります。
「世の中の、うわべだけを飾っている者たちは、自分の身が今どんなところにいるのか、これからどうなっていくのか、そんなことさえわからぬまま、毎日を過ごし、美味いと言われるものを食い、かっこいいと言われる服を着ているのじゃ。昼はそぞろに下らぬことを行い、夜は枕を高くして眠っているのだ。その間に功徳を積むこともない。そんなことをしているくせに、自分たちは道を修め、仙人となることができるはずだ、と思っているのだ」
わしらは潜り戸にたどりつく。
おっさんの修道者が潜り戸の扉に手をかけて、開けてみようとする。
しかし、開かない。
「やはり閉まっていましたな」
わしはおっさんの背後から覗き込む。
「ここ以外には通り抜けられそうなところはございませぬが・・・」
「うーん、押してみるとガタガタいうので、向こう側のカンヌキが外れかけているようなのですが・・・」
開かないのだ。
だとすれば関門を通り抜けることはできないのかも知れない。困った。
いや、待てよ。
まあいいや。この関門が「無いもの」と考えて、こちら側でうろうろしていればいいかネー、どうせこの世のことはウソばっかりだしネー。
などと思っていると、張じじいの声がまた降り注いできた。
「よいか。
必有真伝。
必ず真伝あり。
絶対に、真実の教えはあるのじゃ。
非可私猜、亦非可妄行。
私猜すべきにあらず、また妄行すべきにあらず。
勝手に無いのではないかと疑ってはいかん。また、勝手な方向に行ってしまってもいかん。
頑張ってその真実を把握し、これを身につければ、天と同化し地と並ぶものとなれるのだぞ。
しかし、
空空妄想而能知能成乎。空空妄想只此一念、便是不能明道的孼根。
空空妄想してよく知りよく成すことあらんや。空空妄想、ただこの一念、すなわちこれ道を明かにするあたわざるの孼根(ゲツコン)なり。
いい加減な空想をしているだけでまことに知恵を得、まことの修道ができるはずがあろうか。いい加減な空想というのは、おまえたちのそのわずかな心の動きの中にはじまるのだが、それがタオを明かにすることのできないわざわいの根っことなるのじゃ。
おまえたちはいい加減である。だから妄想するのである。それなのに、自分たちはいい加減でない、妄想していない、と思っている。そこに間違いの根っこがある。
おまえたちがいい加減な妄想をしているということ、それは本当のことなのだ、ということをまず理解せよ」
わしは目の前の妄想関を見上げた。でかい。圧倒的な実在感である。この関門には潜り戸があり、それを通れば向こう側に抜けられる。それも事実だと思われる。
「よし、わしも押してみますぞ」
わしは、おっさんの修道者とともに、その潜り戸を押した。
妄想をしていること、を自覚し、この妄想を超えねばならない。
どうやって超えればいいのか。どこかにヒントがあるはずである。
張じじいが上空から言う。
「さて、
吾勧真心学道者、速将妄想関口打通、穏定脚根。
吾は勧む、真心の学道者よ、速やかに妄想関口を打通し、脚根を穏定せよ。
わしは、真心からタオを学ぶ者に勧める、速やかに「妄想関」を通り抜けよ。お前の足元をしっかりと定めるのじゃ」
「足元?」
「なるほど」
わしら二人は潜り戸の下の方に目をやり、それから二人で目を見交わして頷くと、地面に膝をつけて肩で思い切り潜り戸の下部を押してみた。
かたかた・・・
扉の向こうでカンヌキが持ち上がる音が聞こえ、さらに強く押すと、
がたん!
ついにカンヌキが外れ・・・、
「うひゃあ」
わしら二人は潜り戸の向こう側に転がり出た!
ごろんごろん。
転がりながら空を見ると、空は青かった。明るい空であった。
妄想関を通り抜け、真実の側に出たのである。
開いた潜り戸の向こうから、じじいの声が聞こえる。
「聞け。
歩歩出力、時時用功、自然苦尽甜来。未聞道者即能聞道、已聞道者即能成道。
歩歩に力を出だし、時時に功を用うれば、自然に苦は尽きて甜来たらん。いまだ道を聞かざる者は即ちよく道を聞き、已に道を聞く者は即ちよく道を成さん。
一歩一歩に力を入れるのじゃ。その時その時に努力をするのじゃ。そうすれば、いつの間にか、苦々しいことは尽きてしまい、甘いものがやってくるだろう。まだタオについて聞いていなかった者はタオについて聞くことができるようになり、すでにタオについて聞いている者はタオのことを成功させることができるようになるであろう。
否則、実事不作、言不顧行、行不顧言、妄想明道難矣。
否なれば、実事作(おこ)らず、言は行を顧ず、行は言を顧ず、妄想して道を明かにすること、難いかな。
しかし、一歩一歩、その時その時に進んで行くのでないならば、本当のことは何も起こらず、言葉は行動と反し、行動は言葉と反して、いい加減な妄想ばかりしてタオを明かにすることはできないであろう。」
そうだ、前に進まねばならん。
わしらは立ち上がった。・・・と、その目の前には、
「うひゃあ、これはでかい」
「一門去ってまた一門! でござるなあ・・・」
黒と白、ツートンカラーの関門が、でかでかと立っていたのであった。
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言うまでもないことじゃが、清・悟元道士・劉一明「通関文」より。