ご存知のとおり、無錫の冶鍋坊(鍋作り専門の街)では、代々「王」という一族のみが商売を営んでいる。この王氏のナベは長江の南と北に広く売りさばかれており、仲買の者も王氏以外からはナベを買い取ることがないので、長江一帯で他家のナベを見ることは無いほどである。
これには次のような事情があるのだ。
相伝当清初時、王与某姓争冶業。
相伝うに清の初時に当たって、王と某姓と冶業を争う。
伝えられるところによると、清の初めごろ、この地域では、王家の店と某家の店で、ナベ作りを争っていた。
寡占状態だったわけである。
当時のナベの需要からして二家もナベ作りがいては共倒れになる可能性もあったのであろう、二家はどうしても相手を排除しようとして、あるとき次のように約した。
●某月某日、社廟において、お互いに代表を出し、
煎油満鍋至沸度、沈称錘于鍋中、孰引手取出、即世其業。
油を鍋に満たして煎し沸度に至らせ、称錘を鍋中に沈めて、孰れか手を引いて取り出ださば、即ち其の業を世せん。
ナベに油をたっぷりいれ、ぐらぐらに煮え立たせる。そこに釣に使用するオモリを入れ、お互いの代表が手をつっこんで、それを取り出した方が代々営業できることとし、負けた方は商売から手を引くこととする。
という約束である。
ああ、おそろしい野蛮な取り決めですネー。
当日、某家は使用人の中から屈強の若者を、王家は店番を長く続けてきた老人を代表に出した。
双方の一族が見守る中で、巨大なナベにぐらぐらと油が煮立てられ、立会人がオモリを投げ入れた。
「さて、では、代表の方、前へ」
若者と老人はナベの側に立った。
側に立つだけで皮膚が焼け膨れるような熱さである。
二人は、それぞれ右腕の袖を肩の上まで捲り上げ、合図を待った。
若者の赤銅色の逞しい腕と、老人の今にも枯れ落ちそうな細い腕が、熱気で陽炎のように揺れているナベの周りの空気の中にさらされている――
「よし、はじめ!」
立会人の合図で、二人はナベの中に腕を突っ込んだ!
突っ込んだ瞬間に、見物にもはっきりと
しゅう
という音が聞こえた。何の音か。・・・肉が溶ける音だ!
一瞬の後、
「ぎゃああ」
という声もろとも、若者はのけぞって倒れた。逞しい腕があっという間に真っ黒に変色し、半分ぐらいの太さになった上、指が溶けて手首から先は骨だけになっている。
「むう」
一方の老人は、目を見開いて、なお油の中に腕を突っ込んでいた。
長い長い時間が過ぎたように思えたが、実は、三つ四つの呼吸を数えるぐらいの時間でしかなかったであろう。
「えい」
叫びざま老人は腕を持ち上げた・・・。
それはすでに腕ではなく、老人の肩から先は骨、それも黒く焦げて今にも砕け落ちそうな骨だけになっていた。
が、その骨だけの腕の先、指骨のどれかに、オモリが引っかかっており、老人はそれをナベの外に跳ね上げると、そのままもんどり打って倒れたのである。
投錘于地、臂亦同脱。
錘を地に投げるに、臂もまた同脱せり。
オモリが地面に落ちたとき、腕(の骨)も崩れるように老人の肩から落ちた。
「や、やった!」
「勝ったぞ」
「じじい、ようやった」
腕の傷に合わせて畢生の遺志を奮ったからであろう、王氏の一族郎党駆け寄ったときには、老人はすでに事切れていた。
・・・というわけで、現代(←清の末)、無錫の冶鍋坊では
王氏子姓分房殆数十家、各仰給于冶坊、歳時各祀此店役。
王氏の子姓分房してほとんど数十家、おのおの冶坊に給を仰ぎ、歳時におのおのこの店役を祀る。
王氏の子孫の家が分家して数十家もあり、すべて冶鍋坊にナベを降ろして生計を立てているが、どの家でも季節ごとにかの店番の老人を神として祀り続けているのである。
むかしはこういうことがよくあったものだ。勇ましいことである。
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張祖翼「清代野記」上巻より。
高い職業意識ですネー。