今日もさぼります。
ただし、漢文の読み方忘れるといけないので、短いの読んでおきます。
勇于敢則殺、勇于不敢則活。此両者或利或害。
敢てするに勇なれば殺(サツ)、敢てせざるに勇なれば活す。この両者、或いは利、或いは害なり。
するかしないか。――
というときに、「ようし、やってやろう」と勇むなら、取り返しのつかない失敗をするだろう。
「いや、やめておこう」という勇気があるなら、うまく生き延びるであろう。
この二つの道は、一方(後者)は利益があり、一方(前者)は害悪があるわけである。
天之所悪、孰知其故。天之道、不争而善勝、不言而善応、不召而自来、坦然而善謀。
天の悪むところ、孰れか其の故を知る。天の道は争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召さずして自から来たり、坦然として善く謀る。
大いなる天がいやがるのは何なのか、どのようなひとがそのことわりを知っているのであろうか。
大いなる天のやりかたは、競い争うことなく巧みに勝ち、言葉を使うことなく巧みに応答し、呼ばれなくても必要な場所におり、何気もなく巧みなはかりごとをめぐらすものじゃ。
天網恢恢、疏而不失。
天網恢恢、疏にして失わず。
まことに「天の網というのはばかでかく、目は粗いのだが引っかかる」というでのう。
「恢」(カイ)は、説文解字によれば「大」と訓じられている。「疏」は「密ならず」。
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以上、「老子」第七十三章より。
普段みなさんは「天網恢恢、というやつじゃ」というて人知れず行った悪事がいつかは咎められる、という意味で使っていると思うのだが、本来は少しニュアンスが違うのにご注意されたい。
なお、「天網」に対して「帝網」もあるです。これは帝釈天(インドラ)の網、という華厳のおそるべき世界認識の具じゃ。わしもはじめてこの網の世界にはりめぐらされていることを知ったときは慄然とした。・・・ですが、なかなか文字で伝わる話ではござらぬによって、内弟子のみなさまとは次の例会のときの話柄にいたしましょうなあ。