平成21年 6月 5日(金)  目次へ  一昨日に戻る

週末だ。一週間生き抜いたのだ。よくやった。しかし「来週」がまた来ることを思うとやはり絶望。吐き気さえ覚える。

のですが、週末なのでそこそこの長いのを書きます。

晋の国に馮婦というひとがあった。

女性ではなく、「馮」が姓、「婦」が名前であって、おとこのひとである。

@このひと、若いころは

善搏虎。

善く虎を搏(う)つ。

トラと素手で戦って、捕らえることができた。

という荒くれの豪傑であった。「搏」(ハク)は、素手で「うつ」「殴る」「執らえる」ことをいう。

Aその後、学問の道を修めて、

卒為善士。

ついに善士となる。

とうとう善き「士」となった。

「士」は自由民であり、都市国家の役職を分担する地位である。「民」とは身分が違う。

Bところがあるとき、馬車で

之野、有衆逐虎。

野に之(ゆ)くに、衆の虎を逐(お)うあり。

郊外の原野に行ったとき、人民どもがトラ狩りをしているのに出くわした。

虎負嵎、莫之敢攖。

虎、嵎を負い、あえてこれに攖(ふ)れるものなし。

トラは山を背中にして人民どもの方に向かってすごみ、誰も近づけないでいた。

「嵎」(グウ)は山の隈をいう。「攖」(エイ)は「触れる」である。

そのような中で人民どもは、

望見馮婦、趨而迎之。

望んで馮婦を見、趨(はし)りてこれを迎う。

遠くから馮婦の乗った車を見つける、走り寄って、彼をトラ狩りの現場に引っ張って行った。

C馮婦、トラの姿を見て、

攘臂下車。衆皆悦之。

臂を攘いて車を下る。衆、みなこれを悦こぶ。

腕をぶるんと振り回して車から下り(、トラを捕らえ)た。人民どもはやんやと囃し立てて喜んだ。

人民どもは喜んだが、

其為士者笑之。

その士たるものはこれを笑う。

「士」の階級の仲間たちは(人助けのために危険な力仕事を自ら行った)彼を嘲笑った。

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「それは当たり前だろう」

と、みなさんがやってきておっしゃる。

「まったくだよ」

「士という選ばれた責任ある階級にあって、かっこいいスーツやブランドものの時計とかつけるべきなのに、ぶるんと腕を振るってトラを捕まえるなんて、責任感も無いし、かっこ悪いよねー」

とおっしゃるのである。

ところで、このお話は、実は次のような文脈で語られている。

・・・・・・・戦国の時代、孟子は斉の国にやってきて、客卿としてはじめ重く用いられた。

このとき、斉の国に飢饉があり、孟子は王に「民の利は王の利である」と進言して、国の倉庫を開かせ、人民に穀物を分給したのであった。

その後、王は孟子の仁義の説にあきたらず、実利の政治を求めたため、孟子の進言を用いなくなった。

そんなとき、斉国に再び飢饉が来た。

王は穀物の値がさらに上がることを考えて、国の倉庫を堅く閉ざした。

このとき、陳臻(ちんしん)というひとが孟子に、

――先生。あなたは今回は、王に進言して、倉庫を開かせようとはなさらないのですか。

と問うた。

そのとき孟子は、

是為馮婦也。

これ、馮婦たらんとするなり。

それは、わしにあの馮婦のような行為をせよ、ということだぞ。

と言うて、上の話を語ったのである。

これを整理するに、孟子は

(1)以前やったこと ・・・ア)馮婦はトラを素手で捕らえた イ)孟子は人民のため国の倉庫を開かせた

は、ほかの「士」たちにとってはどうでもよいことであったが、

(2)人民に請われて同じことを二度やる・・・ア)馮婦はトラを捕らえる イ)孟子は再び倉庫を開かせる

と、「士」たちから自分たちとは価値観の違う者、として、仲間はずれにされるだろう、だからわしはやりたくない、と言っているのである。

ただし、その語脈からいって、この(2)のイ)の行為は、孟子は「やれるのならもう一度やりたい」のである。それが孟子の唱える「仁義の道」に則る行為であるからだ。

しかし、王の信頼を失っている今では、それをしようとしても甲斐なく、かつ「士」たちの反発を受ける、と言っているのである。

ゆえに、(2)のイ)と構造上等置される(2)のア)についても、「やって悪いこと」と捉えているのでなく、「やれるならやりたいこと」と考えているのは明かである。

すなわち孟子によれば、馮婦さんの行為は本来肯定されるべき行為として挙げられているのだ。

・・・と、みなさんに申し上げたところ、みなさんは、

「おいおい、孟子みたいなガリガリの古臭いひとの価値観を正しいみたいに言っているよ、こいつは」

「あはは、だめだなー」

「おほほ、どうやってこれからの不況を生き抜いていこうというのでしょう、このひとは」

とわしを上から目線で嘲笑うのであった。

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以上、「孟子」尽心下章より。

笑いながらみなさんがあっちの方に行ってしまったので、わしは松陰先生・吉田寅次郎「講孟箚記」をひもといてみる。

馮婦も亦一奇士、・・・衆あり虎を逐ふは蓋し猛虎民害を作すを以て是を駆逐するなり。苟くも馮婦臂を攘(かか)げて車より下るに非ずんば、数十百人呑噬(どんぜい)を免れざるなり。是れ馮婦談笑して能く数十人百人の死命を活かするなり。・・・今の時、果たして馮婦・・・の如き者あらば、余従ひて鞭を執ると云へども、甘んずる所なり。而して世遂に此の人なきを嘆ずるのみ。

馮婦もまた、ひとかたならぬ人物じゃ。・・・ひとびとがトラ狩りをしていた、というのは、猛々しいトラが人民に害をなすので、これを追ったものであろう。このとき、もし馮婦が腕をぶるんと振るいながら車から下りてきてくれなければ、トラとの争いで数十人〜百人ぐらいのひとが咬まれ、飲み込まれてしまったであろう。ということは、馮婦は、にこやかに笑いながら数十人〜百人のひとの死ぬるべき命を助けたわけである。・・・現代(←幕末のこと)、もしもこの馮婦・・・のようなひとがいれば、わしは大喜びでそのひとに仕えて、ムチを持ってそのひとの馬車の御者ともなるであろう。しかしながら、世間にこのようなひとがいないのを嘆いているばかりなのである。

「・・・というふうに、吉田松陰先生は馮婦を称賛しておられるのですなあ」

みなさんに聞こえるように言うてみた。

するとみなさん、一瞬表情を固くした後、やおら

「吉田松陰先生は志士のひとで偉人だぞ。その言うところに間違いがあるとでもいうのかね、きみは」

「あはは、自由を愛する近代の目から見たら、馮婦さんのようであらねばならないのは当たり前のことですよ」

「何を疑問視しているのかしら、あのひとは」

とわしの方を指差して嘲笑いはじめた。

ああ、まったくみなさんは頭がよくて、よろしいですなあ。ひひひひ。

 

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