ある晩、王玄之が会稽の町を散策していると、一人の涼しげな道士と出会った。
その人、はじめて会ったのであるが妙に懐かしく、またその挙措奥床しく、知るところ深い先達と知れたので、誘われるままに後に随って行った。
いつの間にか、玄之と道士は、町の西の郊外を流れる西江のほとりにいた。
見上げると、緑の空からは月光が降り注いでいる。
玄之は夢見るような心持であった。
道士から、
「さあ、こちらへどうぞ・・・」
と言われるままに彼は川の中に入って行ったのである。
すると、
月光中不見泥沙、水随歩自開。
月光中に泥沙を見ず、水は歩に随いて自ずから開く。
月の光のもと、汚らわしい泥も歩きにくい砂も無く、川水は彼の歩むに従って自ら分かれて通路を用意したのであった。
「ほう」
左右に碧い水の壁、頭上には緑の空に月が浮かぶ中を、彼は歩いて行った。
しばらく水中の道を歩んでいくと、道の傍らに長細い物があった。
道士はそれを指差して、
「さあ、これをご覧なさい」
と言うた。
玄之がそのモノを見るに、それは
如龍、又如蛇、長十丈許。
龍の如く、また蛇の如く、長さ十丈許りなり。
龍のようであり、またヘビのようであり、長さは十丈ぐらいであった。
六朝期の一丈は約2.4メートルである。
「これは?」
と問うに、道士答えて曰く、
此水母也、見者長生。
これ水母なり、見るもの長生す。
「これは水母というイキモノです。これを見たものは寿命が延びます」
「はあ」
何にしろ見たこともないものである。珍しいのでしばらく見つめていると、
「さて」
道士はおもむろに言った。
「これぐらい見れば十分でしょう。そろそろ戻りましょうか」
「え?」
と顔を上げた瞬間、王はいつの間にかただひとりで、川のほとりに立っていた。月光が緑の空から降り注ぎ、目の前をさっきまでその底にいたはずの西江が、とうとうと止まることなく流れていた。
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「王氏神仙伝」より。この本は唐末から五代ころの誰かが、「王」という姓のひとの関わる神仙譚を集めたものだ、ということですが、宋の至游居士・曾端伯の編んだ「類説」に所収される以外には伝わらないそうである。ということで、これも「類説」所収の一篇。
ところで、「晋書」(巻八十)を開くに、王羲之には七人の子があったそうであるが、
知名者五人。
名を知らるる者五人。
名前が伝わっているのは五人である。
その中で一番年長だったのが王玄之であったが、
玄之早卒。
玄之は早卒す。
玄之は早いうちに亡くなった。
ということになっている。
もちろん、「水母」をじっくりと見たのだから、若くして死ぬはずがない。おそらく死んだことにして、どこか余人に知られぬ地に去って行ったのであろう。
・・・以上。
結論としては、「水母」に読み仮名を付せ、と言われて「くらげ」と振るのはシロウト、ということだ。「クラムボン」と振るのもまた、容れられまい。