平成21年 5月 7日(木)  目次へ  昨日に戻る

今日は会社なので悲しかった。社会に戻ると不安でいっぱいです。ということで、今日は不安な社会のお話です。

・・・冠先なるひとは春秋の宋のひとである。

釣魚為業。

魚を釣りて業と為す。

魚釣りを生業としていた。

かような生活で、睢水(すい・すい)のほとりに居ること

百余年。

ということは百歳以上の長生きのひとだ、ということです。

得魚、或放、或売、或自食之。

魚を得て、或いは放ち、或いは売り、或いは自らこれを食う。

魚を釣り上げると、あるときは川に戻してやり、あるときは人に売り、あるときは自分で食べた。

その行動は自由でほしいままであったのである。

それにしても百余年も生きるとは、日常生活でどのような努力をしていたのであろうか。

常冠帯、好種茘、食其葩実焉。

常に冠帯し、好んで茘(レイ)を種え、その葩実を食らえり。

「茘」(レイ、またはリ)は、強い香りのある植物の名で、蒲に似てその根で刷毛を作るものだ、そうですが、和訓は「おおにら」という。

「葩」(ハ)は「花びら」。

いつも冠と帯を身につけ(要するに正装していた)、「おおにら」を好んで植え、その花びらや実を食らうていた。

宋の国の王様が、

「おまえはどうしてそんなに長生きできるのか。秘訣を教えてほしい」

と言ったが

不告、即殺之。

告げず、即ちこれを殺す。

教えなかった。すると王様は、すぐに彼を殺してしまった。

この王様は、景公(在位前516〜前451)だということですが、そうすると、春秋の末から戦国の初め、孔子だとか呉王夫差とか越王勾践だとかと大体同時代の人になります。

冠先は百余年生きていたのだが、殺されたのでは仕方がない。死んだのでしょう。

さて、ところがそれから数十年、後世いう「戦国時代」に入ったあとの、紀元前五世紀末のある日、

踞宋城門上、鼓琴。

宋の城門上に踞り、琴を鼓す。

宋(の都市国家)の城門の上に座って、琴を弾いている。

という不思議なひとが出現した。

ために宋の国(都市国家)は大騒ぎとなった。ひとびとは来る日も来る日もそのひとを見上げ、あるいはそのひとのことを噂しあった。

高い城門の屋根の上であるので、兵士たちも手が出せない。

このひと、

数十日乃去。

数十日にしてすなわち去る。

数十日もそこで毎日琴を弾き、やがて見えなくなった。

その途中で、誰かが

「あれは景公さまに殺されなさった冠先さまだよ!」

と言い出して、みなそれを信じた。

宋のひとたちは、冠先が今も生きて神仙になっているのだと認識し、

家家奉祠之。

家家これを奉祠せり。

家ごとに彼を祀った。

という。

この事件からは、@祖先崇拝を共有する氏族制度の崩壊、とかA都市国家の成員の共通宗教である「社稷」信仰の堕落過程、などが指摘できるであろう。

・・・なのだろう、と思いますが、難しいことはとりあえず置いておいて、城門の屋根の上で琴を引き続けるひと、というのはおそらくUFO同様の共同幻想であろうと思われる。そんな共同幻想が現われ、しかもそのUFOをかつて体制に殺された人民に同定して崇め奉るに至るとは、戦国という時代はたいへん不安な時代だったのでしょうねえ。

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以上、晋・干令升「捜神記」巻一より。

ちなみに、宋の都があったのは漢の時代の睢陽城であり、その西門がかつて冠先の琴を鼓したところである、という(後魏・酈道元、字・善長の「水経注」巻二十四による。ただし「水経注」ではそのひとの名を「冠先」ではなく「寇先」としている)。

ついでに宋の景公について、「水経注」にいうところを引く。

・・・「闕史」という書物にはこう書いてある。

かつて宋の景公は工人に命じて弓を作らせた。

九年乃成。

九年すなわち成る。

弓を作るのに、九年かかった。

景公曰く、

何其遅也。

なんぞそれ遅きや。

「どうしてこんなに時間がかかったのか」

工人曰く、

臣不復見君矣、臣之精尽于弓矣。

臣また君を見ざるなり、臣の精、弓に尽くるなり。

「わたくしはもう陛下にお目にかかることは無いでしょう。わたくしの精魂はこの弓に尽きてしまいました」

はぐらかして答弁したのではなく、それぐらい一生懸命作っていたので遅れましたんじゃ・・・と言っているのですね。

工人は

献弓而帰、三日而死。

弓を献じて帰り、三日にて死す。

弓を献上して王宮から帰ると、三日後には(精魂尽きて)死んだ。

のだった。

さて、景公が睢陽城内の虎圏の台に登り、ゆんづる「ひょう」とばかりに東に向かって矢を射れば、その矢は遠く孟霜の山を越え、彭城の東で的を射抜き、勢い余って石梁の水に矢羽を浸した・・・、という。

土地勘が無いのでなんとも言い難いのですが、すごい遠くまで飛んだのでしょうなあ。

景公というひとは、こういう「神話」が、現実のニンゲンが蠢く「歴史」と交わる、そのちょうど合間あたりの時代に生きた王だったのだ。

 

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