平成21年 5月 6日(水)  目次へ  昨日に戻る

今日は水曜日なのに休みでうれしかった。

そこで新たな試みをしてみました。しかし、これを「四コママンガ」と考え、「我が国を代表する文芸表現であるマンガでありながらヤマ場がないオチが無い意味がないおもしろくない」と怒ってはいけません。アワレな紙芝居だと思っていただくのがよろしい。

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天津の町。とある宵。

瞽者某、将出西郭。

瞽者某、まさに西郭を出でんとす。

盲人の某が、ちょうど西の城壁から外の町に出ようとしていた。

遊びに行くのではない。あんまの仕事のために城壁の外の新しく開けた街を流しに行こうとしたのである。

と、城壁に沿って祀られていた城隍神(街の守り神)の廟があったが、そのあたりで

「先生」

と声をかけて杖を引っ張る者がある。(按摩師は「先生」なのですな)

A

瞽者某、

「何か御用ですかな」

と問うに、その者、

去此数武、煩先生一推賎造。

ここを去ること数武、先生を煩わせて賎造を一推せしめん。

「ここから少し歩いたところまでお出でいただけませんかな。(わたしの)粗末な家の戸を推して(来訪)いただき(按摩をお願いし)たい。」

「承知いたしました」

瞽者某は、その者から「ぽたぽた」と水滴のようなものが滴り落ちる音がするのが不思議だったが、仕事の依頼である。その者の案内に従って歩き始めた。

B

瞽者某は、しばらく後についていたが、やがて怪訝そうに言った。

「お客様、こちらは城隍廟の裏手の方・・・こちらには家は無く、ただ池が広がるばかりのはずですが・・・」

すると、そのひと、振り向いて、

「おお、さすがに気づかれましたか。

他無所求、水中涼爽、屈君共浴耳。

他に求むるところ無し、水中涼にして爽、君に屈して共に浴さんのみ。

他に何かして欲しいというわけではござらん。ただ、水の中は涼しく、またさわやかです。あなたに礼を尽くして、一緒に水浴びをいたしたいとお願いするだけでござる。」

「い、いや、結構でござる」

と瞽者はお断りしたが、そのひと、瞽者の杖を強く引いて、

水中別有佳境、遠勝陸居。

水中別に佳境あり、陸居に遠く勝る。

「水の中にはこことは違い、いい世界が広がっておりますぞ。陸上よりずっと素晴らしい。

さあ、来なされ」

「うひゃー!」

瞽大嘩、其人始捨去。

瞽大いに嘩(さわ)ぎ、そのひと始めて捨て去れり。

瞽者が大声を出して逃げ出したので、そのひとはやっと手を放したのであった。

C

次日、褚氏子溺死其処。

次日、褚(ちょ)氏の子、その処で溺死せり。

翌日、褚という姓の子が、同じ池で溺死した。

これは

水鬼求代者也。

水鬼の代者を求むるなり。

水難で死んだ者が(自分がそこから離れるため)身代わりの者を探していた。

と考えて間違いないであろう。

事故・災難・自殺など、不慮の死を遂げた者は、その場に縛られてしまうため(あるいは自分を殺した猛獣などに使役されるため)、自分の身代わりを探し、身代わりができるとやっとその場(あるいは猛獣などの支配)から逃れられる、と信じられておりました。このような死者の霊を総称して「倀鬼」(とう・き)と言いますが、このうち水難による者を天津地方では「水鬼」と言うたらしい。

・・・というお話でございました。

さて、酔茶老人曰く、身代わりを求めるのにこともあろうに目の見えないひとや子供を狙うとは、

鬼真譎而不正矣。

鬼、真に譎にして不正なるかな。

この水鬼は本当にウソツキで卑怯者である。

しかし考えてもみたまえ。

この世で人を陥れようとわなを設ける訟師や小役人たちは、普通のひとを手玉にとること、まるで目の見えないひとや子供を騙すようなものなのだ。

可勝嘆哉。

嘆くに勝(た)うべきかな。

なんと嘆かわしいことではないかね。

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以上、清・李酔茶「酔茶志怪」巻二より。

 

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