ニンゲンの方が怖い。(↓とは少し関係あるかも。)
背後には気をつけねばなりませぬぞ。
オオカミのように背後が見えるぐらいではないと、この乱世を生き抜くことはできぬ。
・・・三国・魏の武侯(曹操のこと)があるひとから、、
「陛下の傘下にある男がおります。その者に英雄の相あり、お気をつけめされよ」
と忠告を受けた。
――殿にお替りになろうとされるかも知れませんぞ。
ということである。
そこで次の日、その男を呼び出していろいろ下問してみた。無能では無さそうである。しかし茫洋として摑みどころが無く、果たして牙を隠しているのか、単に有能な若者なのか、明らかならぬ。
「よい、もう下がれ」
「はは!」
その男、一礼してくるりと背を見せると、退出していこうとした。
武侯、ふと思うところあり、
令反顧、而正向後、而身不動。
反顧せしむるに、正しく後に向かうも身は動かず。
「待て、こちらを向いてみろ」
と呼び止めたところ、その男、振り向いて真っ直ぐにこちらを見たのだが、体は向こう側を向いたままであった。
有狼顧相。
狼顧相あり。
そうか、お前は「狼顧相」を持っていたか。
体を前に向けたまま首を真後ろに向けられるのはオオカミと同じである。これを「狼顧」といい、そのようなことができる人間の特徴を「狼顧相」というのだが、その相を持つ者は、オオカミと同じように強い不羈の心を持ち、たとえどのように従順に見えても最後までそのままで終わる者ではない。
「は?」
その男はけげんそうにしていたが、武侯はにやりと笑いを浮かべて、
「わかった、今度こそ下がってよい」
と命じた。
その後、武侯、太子の曹丕と会食したとき、
「そうだ、お前、狼顧相の男を知っているか。あの男、確かに使える男であろうが、
非人臣也。必預汝家事。
人臣にあらざるなり。必ず汝の家事に預からん。
ひとの臣下として身を終えられる男ではない。必ず(わしの代ではなく)お前の代に、我が家のこと、すなわち代替わりの帝位の相続に関わる(自分が皇帝になろうとする)ことになろう。
よく気をつけるのだぞ」
太子も、その度量において父に劣らぬ逸材である。
「なるほど、彼のことですな。わたしは彼をよく知っておりますが、彼なら確かにそれぐらいのことは仕出かすかも知れぬ」
と相槌を打ち、それから一呼吸置いて、
「ただ、父上もあいつを自分一代の間は有能な部下として使おうとお考えになったのでございましょう。だからご自分でカタをつけずにわたしに気をつけるように、と言うた。わたしも及ばずながら、彼を十分に使いこなそうと思っております。わたしの後はどうなるかな。代替わりのときに使いこなせないような子孫であれば、それはその子孫の責任ではございますまいか」
と言うてのけたから、さすがの魏武侯も苦笑して盃を干した、ということじゃ。
・・・ひとを使う、というのはそれぐらいの重いことじゃ、己れの地位と裏腹のことであるわけだということ、経営者のみなさま心してくださいね。
そうそう、お話忘れるところでございました。
その男は、姓を司馬、名を懿、字を仲達という。後にその子・司馬昭が魏の帝位を簒奪して晋の国を立てたゆえ、晋の宣帝と謚名されるひとである。
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火曜日ですが「子どもの日」で休みでよかった。原文は「晋書」だと思いますが、今は旅の途次にあるゆえそれに当たることができぬ。ここは「蒙求」の「晋宣狼顧」条・徐子光補注による。