ぺんぎん。
4月20日の続き。第二十関目。
・・・わしは山道を昇ってきましたところ、大きな関門に到達しました。
その関門の前には、久しぶりで何人か他の修道者たちの姿が見える。
「どうも」
とそのひとたちに挨拶してみた。
「あ、どうも」「これはこれは」「おお、よろしく」
などとみなさんにこやかにご返事下さった。みなさん、このあたりまですいすい来られた方々だから、さすがにニンゲンができておられるのであろう。あるいはなかなか如才無い方々なのであるのかも知れぬ。
関門の題額を見ますと、墨で黒々と
猜疑関
と書かれているのである。
「む。いろいろと疑ってしまう、ということでござるな・・・」
と、そのとき、関門の二階の楼上から悟元道士・劉一明が姿を現わした。
「だいぶん人数が揃ってきたな。では始めるか。今からわしが説教をぶつから、わかったものから関門の扉を押してみなさい。ここの扉は回転扉になっているから、うまく押せたひとは通り抜けられます。うまく押せないと扉は動きません。はい、では説教を開始しまーす」
と言うて、道士は話し始めた。
大道奥妙幽深、大則充満宇宙、小則細入毫端。
大道の奥妙は幽深にして、大はすなわち宇宙に充満し、小はすなわち毫端に細入す。
「毫」は細かい毛のことであるから、「毫端」は「毛の先」ほどの小さな場所を言う。
大いなるタオの奥の方の何ともいえぬところは、見えにくく、かつ深い。それは、大きい方では宇宙に充満しているし、小さい方では毛の先にも入り込んでいる。
このあたりのところに、近世道教に仏説の華厳経の影響をたやすく見ることができる。・・・というような話は、専門のひととしてください。わしは専門ではないのでしません。
「よいか。おまえたち修道者は、このタオの奥深いところを体得せんことを目標にしているはずなのだぞ。そして、このタオの奥妙を会得すれば、
可以奪造化、出陰陽、了性命、成仙仏、与天地同長久、与日月共光明。
以て造化を奪い、陰陽を出で、性命を了し、仙仏を成し、天地と長久を同じくし、日月と光明を共にすべし。
世界を造り化す能力を得、物質を支配し、ほんとうの命を理解し、仙人やブッダになりおおせ、天地と同じぐらい長く実存し、日や月と同じぐらい光り輝くことができるであろう。」
道士は、「易」の有名な言葉を続けた。
先天而天不違、後天而奉天時。
天に先んじては天に違わず、天に後れては天の時を奉じる。
世界の根本原理が発動する前においても、根本原理から外れることなく、
世界の根本原理が発動した後では、根本原理の動きを正確に察してこれに従う。
「そのような状況となれるのじゃぞ」
と道士は言うのであった。
これは、「易」では聖人のことである。
道士の説教を聞いて、わしも含めて修道者たちは、タオを会得することへの希望に燃え立ち、
「おおう」
「やるぞやるぞやるぞ」
「はあはあ」
と興奮してきた。
と、ここで、道士が払子を「しゅ」と左右に振る。
「ところが、このタオについては、
有内陰陽、有外陰陽、有内五行、有外五行、有真有仮、有真中之仮、有仮中之真、有真中之真、有仮中之仮。
内陰陽あり、外陰陽あり、内五行あり、外五行あり、真あり仮あり、真中の仮あり、仮中の真あり、真中の真あり、仮中の仮あり。
人間の内面の陰陽を如何に調えるかという部門、外部世界の陰陽を如何に調えるかという部門、内面の物質の変化を調える部門、外部世界の物質の変化を調える部門があり、また、タオには、(真実の世界にある)真実のタオと(現実世界に現出した)仮想のタオがあり、真実の世界にある仮想のタオがあり、現実世界にある真実のタオがあり、現実世界にある仮想のタオがある。
かように、方法論的にも種々の部門があり、目指すべきタオにも種々の種類があるわけだ。
さてさて、おまえたちは、タオに至る方法をどのように考えているのかな?
「はっはっは」
一番前にいた恰幅のよいA男が言うには、
「火候法でござるよ。すなわち火が突然燃え立つように、一瞬の間に悟るしかございますまい」
「おっほっほ」
その左にいたすらりとしたB女が言うには、
「次序法があるのですわ。多くの先達が定めて行ったマニュアルどおりに進めていけば、当然にタオに至れるのですの」
「いやいや」
その隣りのにこやかなC男が言うには、
「有為法ですね。マニュアルに頼ってはダメだ。自分で工夫しながらいろんな努力を積み重ねて、タオを得るんですよ」
「だめだめ」
そのまた隣りのハスキーボイスのD女が言うには、
「無為法こそ重要なのよ。何かを恣意的にしてはダメ。すべてを大いなる何かに委ねていれば、タオに至るんだわ」
さらにまだ意見のあるひとがたくさんいるようですので、ここから先は来週に致したいと思います。
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清・悟元道士・劉一明「通関文」より。