イヤになってきましたね。
ああ。また明日から一週間か・・・。
今日は頭痛を除けば楽しかった。
春風輿酔向天涯。 春風 酔いを輿(よ)して天涯に向かう。
乗興何郷不我家。 興に乗ずれば何れの郷か我が家ならざらん。
の心持ちがありました。
春風は酔い心地を乗せて天の果てまで運んで行く。
気分良く過せればどこに行ってもわしの家にいるのと同じじゃのう。
此去芳山一千里、 此れを去りて芳山は一千里、
長亭楊柳短亭花。 長亭に楊柳あり 短亭に花あり。
「芳山」は「吉野山」である。また、古代チュウゴクでは、「亭」(宿駅)は隣と十里(6キロ)の間隔があるのが「長亭」、五里(3キロ)が「短亭」だったのだそうである。
ここから吉野山まで一千里の旅に出るのじゃ、
(道は遠いが)遠目の宿場には柳があり、近目の宿場には花が咲いておる。
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これは、菅茶山が寛政六年(1794)に備後から吉野に出かけた際、出発間も無い備前で詠んだ絶句(「備前道中」)である。
岡山から吉野まで一千里? 四千キロ? シナ里でも一里=600mだから、600キロ? そんなにあるはず無いではないか、と思うでしょうが、詩的表現だからしようがないではないか。
ちなみにこのとき、菅茶山は数えで四十七歳。現在の肝●斎と同い年ですね。
↓は、菅茶山の「黄葉夕陽村舎詩」の抄訳を作って表紙にしようとして描いたキモ画である。しかし、神保町の山本書店で15万円ついていたので止めた。空白部分には「黄葉夕陽村舎」の写真か何かが入るつもりなのですが、資料不足で入っていないです。また、立っている茶山翁は岩波の「日本詩人選集」に付いていた「茶山肖像」(菅好雄氏蔵)(神辺駅の駅前にある銅像もこれから作っているのでしょう)という坐像を元にデフォルメして描いてみたものである。
これでも、「菅茶山遺風顕彰会」さんなどから肖像権の侵害とか文句つくのでしょうか。JASR●Cじゃないんだから大丈夫ですよね。
茶山先生逍遥図