↑春来たようだが、さやかに見えぬ。目はかすみ、鼻ぐずぐずするのでそれと知んぬるばかりぞ。
昨日からチュウゴクに行っていたので更新できませんでした。
チュウゴクに行ったので、古本屋でご当地の菅茶山の詩集買ってきた。頼山陽全書は高いので止めた(←まだ正気が残っているということだ)。
「茶山詩五百首」と題し、昭和50年・
とりあえず文化九年(1812)春の作。「偶成」(たまたま成る)。
雨兆寒威解、 雨兆に寒威解け、
春村勝事多。 春村に勝事多し。
深更人未定、 深更も人定まらず、
花外屐声過。 花外に屐声過ぐ。
雨模様のおかげで寒さが少し和らいだ、
春の村里にはいいことが案外たくさんあるんじゃ。
もう夜更けの頃合いなのに未だ人寝定まらぬらしく、
花のあたりに下駄の音が通り過ぎていく。
もしかしたらおそろしい妖怪・ゲゲゲの下駄郎のゲタの音かも知れないのにのん気なことですじゃ。
晋の干宝が「捜神記」(巻六)に曰く
妖怪者、蓋精気之依物者也。気乱於中、物変於外。形神気質、表裏之用也。
妖怪なるものは蓋し精気の物に依る者なり。気、中に乱るれば、物、外に変ず。形神気質、表裏の用なり。
あやかしというのは、結局のところ精神的なエネルギーが物に取りついて起こるのである。心が内面で乱れると、物体が外部で変化するのだ。現われる姿と精神や気分というのは、表裏のものなのである。
そうです。
例えば、商(殷)の紂王のとき、
大亀生毛、兎生角。兵甲将興之象也。
大亀毛を生じ、兎角を生ず。兵甲まさに興らんとするの象なり。
大きな亀に毛が生えた。ウサギの頭にツノが出た。これは武器・甲冑を使用することがまさに起ころうとしている徴である。
というようなのが妖怪である。
そうです。
兎にも角にもそういうことだそうです。