意外と楽だったようじゃニャ。
患難は修真の大薬なり・・・
とじじいに言われたところまで先週お話いたしました。今日はその続きです。
薬採りの老人の言うには、患難には出遭った方がよい。それによって己れを磨くことができる。だから患難に出遭ったら、
「おお、ありがとうございます。ほかのやつらが受けてないような患難をいただけて、ほかのやつらよりも真理に近づくことができて、なんと幸せなことか」
と言って患難を受け止めるのが正しい。
・・・のだそうである。
「それなのに、世間には、
反怕患難、避患難。
反って患難を怕(おそ)れ、患難を避く。
反対に、患難を怖れ、患難に遭わないようにする。
というひとがおるのはどういうわけか。」
と老人は憤るのであった。
・ちょっとした飢えと寒さに出遭うと、それだけで別の生き方をしようと考えたり、
・ちょっとした病気になったら、それだけで自分は恵まれてないと妄念を起こしたり、
・ちょっとした危険に出遭っただけで、ただちに後ろに下がろう、と考えたり、
・ちょっとひとからからかわれただけで、もう争論を始めたり・・・。
「彼らは、
真金要在大火裏煉出、荷花須従汚泥中長成。
真金は大火裏にありて煉出さるを要し、荷花はすべからく汚泥中より長成すべし。
まことの黄金は激しい火の中を潜り抜けて純化されるものであり、
清らかな蓮花は汚れた泥の中から生まれ成長してくるものである。
ということがわかっとらんのだ!
患難然後見人之身分高低、患難然後見人之志気真仮。
患難にして然る後にひとの身分の高低を見、患難にして然る後にひとの志気の真仮を見る。
苦しいことがあって、やっとそのひとのひとがらの高い低いがわかるのであり、
苦しいことがあって、やっとそのひとの志しや思いの真実であるのか上っ面だけのものであるかがわかるのである。」
とじじいが話しているうちに、突然わしらの前に関門が現われた。
じじい、棒を以てその門の題額を指し示して、
「読め、肝冷斎」
と言う。
――あれ? わし、このじじいに自分の名を名乗ったんだっけ?
と疑問に思いながらも、言われたとおりその題額を読むに、
患難関
とあり。
その門扉を見てわしは
「ぎぎ」
と唸った。扉には打ち付けられた釘の先が棘のように出ていて、通り過ぎるときに引っ掛けて怪我でもしそうなのである。
「これは・・・痛そうな関門ですね・・・」
としり込みすると、薬採りの老人は、自らの持つ棒で関門の扉を叩いた。
がーん、がーん、がーん・・・
「聞け、肝冷斎。
吾勧真心学道者、速将患難関口打通、認定性命二字。
吾は勧む真心の学道者よ、速やかに患難関口を打通し、性命の二字を認定せよ。
わしは、真心からタオを学ぶ者に勧める、速やかにこの「患難関」を通り過ぎて行け。本当の自分と本当の命の二つをはっきりと理解すれば、この関門を越えることはたやすいであろう。
生きるということは患難であり、死ぬということもまた患難なのだ。」
「は、はい」
わしは老人に半ば押されるように関門を通り抜けた。
案の定、釘が体のあちこちに当って痛かったが、幸いにもすべてかすり傷で済んだ。
「肝冷斎よ、さらに先に進むがよい」
「は、はあ・・・、ご老人はこちらには来られないのでございますか」
「わしか? わしは、もう少し薬を探してから行くつもりじゃ。お前さんはどうも進むのが遅いようじゃから、どうせそのうちまたどこかの関門で追いつくことになろうて。ひっひっひっひ・・・」
「は、はあ・・・」
わしは言われるままに「患難関」をあとにして、また山道を歩き出した。
背後から老人の、わしに聞かせようとして説くらしい声が聞こえる。
「一切の
大災、大難、大困、大厄、大危、大険
すべて
付之于天、皆以無心処之。日久自然化凶為吉、変禍為福。否則、遇患難而怕患難、心神不定、志念遷移、無患難而自致患難、小患難而変為大患難、妄想明道難矣。
これを天に付し、みな無心を以てこれに処せ。日久しければ自然に凶を化して吉と為し、禍を変じて福と為さん。否なればすなわち、患難に遇いて患難を怕れ、心神定まらず、志念遷移し、患難無くして自から患難を致し、小患難にして変じて大患難と為し、妄想して道を明かにすること難いかな。
お天道様のせいだと考えて、無心に対処するのじゃ。そうすれば、はじめは大変でも、時間が経つに従って、凶事も吉事となり、禍いも福となるであろう。
そうでないならば、既に苦しいことに出遭っているのに苦しいことを怖れているのであり、精神は定まらず、目指すところが変化してしまい、苦しいことが無くても苦しいことを自分で作ってしまったり、ちょっとした苦しみを大きな苦しみに変えてしまったりする。そんなことでは、間違ったことばかりを考えて、タオを明かにすることはできないであろう。」
なるほどなあ、とは思うものの、そう簡単にはそこまで思い切れないものである、と思いながら、わしは先に進んだ。
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清・悟元道士・劉一明「通関文」より。やっぱり一関門を二回に分けると(書くのも)すごい楽ですね。次はどんな関門が待っているのでしょうなあ。