今週は多難。()

 

平成21年 4月 6日(月)  目次へ  昨日に戻る

今日も頭痛い。遅刻しました。バファ○ンもらって飲んでしばらく気持ちよかった。

3月30日の続き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

頭が痛いので、「頭が痛い、頭が痛い」と思いながら山道を歩いておりましたら、

あ!

ずるりと転んで、斜面に足をすべらせてしまい、ごろんごろんと一丈ほど転げ落ちてしまった。

「うう、ついてないのう・・・」

と起き上がろう・・・としました。

ところが、

ずきん

と足首が痛く、立ち上がれないのだ。

えー。

むかしむかし、まだ二十台のころ、足が痛いので骨が折れたかと思って医者に行ったら、「通風」と診断されたことがありますが、その痛さともまた違いまして、足を挫いたようである。

「いてて。ぐすん。ついてないなあ・・・」

これでは自力で元の山道によじ登れそうにない。どうしようか、と思っておりましたら、

「これ、お若いの、どうしたのじゃ」

と道の方から声をかけてくれる声がした。

振り仰ぎますと、白髪白髯の老人が立っている。

「おお、ご老人、わしは頭痛の上に転がり落ちて足を挫いてしまい、どうやってそこまで戻ろうかと思案しているところでござる」

と申し上げると、

「ああ、それは患難でござるのう。さあ、これに摑まって登って来なされ」

と、一丈ほどの棒を伸ばしてくれた。

「や、これは忝のうござる」

とお言葉に甘えて棒に摑まり、えいやで引き上げてもらったのであった。

老人、年の割りには大変な力である。わしのでぶの体が一回で、ひょひょひょい、と山道のところまで持ち上がった。

「まことにありがとうございます。どうしようかと途方に暮れているところでございました。ところでご老人は一体何でこのような山の中に・・・」

と居住まいを正してご挨拶しようとしたのだが、挫いた足が痛み、ひょろりとしてまっすぐに立つことさえできず、片膝ついた。

「おお、大事になされよ。・・・そうじゃ、ちょうどここに挫きの塗り薬と頭痛の薬草を持っておるで、これを使いなされ」

と老人は、腰に提げていた嚢から、塗り薬と薬草を取り出して手渡してくれた。わしはありがたく拝受して、一方を塗り、一方を口に入れて食った。

「いや、ちょうどよかった。わしは本草学者での、この山に薬を採取にきたところだったのじゃ」

「おお、なんと。ありがたや」

「ところで、おまえさん」

老人はちょっと真顔になって言った。

「ここから転げおちて、さっき「ついてないのう」とか思ったのではないかな」

「おお」

これは図星であった。

「そのとおりでございます」

「しかし、今はわしと出会って、薬も渡された。「ついている」状態だと思わんか?」

「言われてみれば大変ついておりますね」

「さよう。ニンゲンは「ついてない」状態はわかるのじゃが、「ついている」状態を「自分の実力」と誤解してしまうやつが多いので困ってしまうわい」

「はあ、なるほど」

老人は話しつづける。

「おまえさんは修道者じゃと見えるが、タオ()というものは天地を包み造化の技を行うたいへんな代物じゃ。こいつは修めようとしても、

非有大勇大力、戴天立地之鉄漢、脱塵超俗之金剛、知不的、載不起、拿不動。

大勇大力の有り、天を戴き地に立つの鉄漢、脱塵超俗の金剛にあらざれば、知るも的せず、戴くも起たず、拿するも動かざるなり。

大いに勇気があり、大いに力があり、天を頭に載せて大地に立ち、塵の世の中を脱け出し通俗を超越した、鉄でできた男、ダイヤモンド人間でなければ、(道を)知ることができた、と思っても的確でなく、もらった、と思っても持ち上げることができず、つかまえても動かないものなのじゃ。

如何是大勇大力。

如何ぞこれ、大勇大力。

それでは、その大いなる勇気、大いなる力というのはどういうものか。

大力の例

@    富貴を得てもそれでよしとしてしまわず、貧賤の中でも変わることなく、威厳や武器で脅されても屈することがない。(←「中庸」の言葉)

A    恩義や愛情にも引っ張られることなく、名誉や利益にも誘われることがない。

B    憂愁や恐怖の心が少しも起こらない。

C    喜び・怒り・哀しみ・楽しみ、といった感情を棄ててしまう。

大勇の例

@    苦しみ・困難、危険・艱難においても動揺することがない。

A    病気や災害にあっても、なすがままに順う。

B    飢え・寒さ・凍え・餓えに遭遇しても、死ぬまで方針を変えない。

C    羞恥を与えられ、辱めを受けても知らないような顔をしてやり過ごす。

いにしえより聖人・賢者も多くの患難を受けながら、

受尽無限苦楚、所以終能聞大法、明大道、超凡入聖、成其稀有之大事也。

無限の苦楚を受け尽くすは、ついによく大法を聞き、大道を明かにし、凡を超え聖に入り、その稀有の大事を成す所以なり。

限りないほどの苦しみをお受け尽くしになった。これこそ、大いなる法を聞き、大いなるタオを明かにし、普通を超越して聖なる世界に入り込み、その稀有の大事業を成し遂げることができた理由でもあるのじゃ。」

「なるほどでございます」

と相槌を打ちますと、気をよくしたか、じじいはさらに言う。

「よいか。

患難是修真大薬。

患難はこれ修真の大薬なり。

困難に苦しむことは、真理を修めるための最上のクスリなのじゃぞ・・・」

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とじじいの説教はなお続くのですが、現実世界の肝冷斎は頭が痛いままだし、先ほど明日の朝から始まる苦難の知らせの電話(職場から)もあったので、今日はこのあたりまでとさせていただきます。淡々としていられるような状態ではないらしいのでございます。

もちろん、清・劉一明「通関文」より。そういえば今日は道士も童子も出てきませんでしたね。

 

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