今週は多難。(涙)
今日も頭痛い。遅刻しました。バファ○ンもらって飲んでしばらく気持ちよかった。
3月30日の続き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
頭が痛いので、「頭が痛い、頭が痛い」と思いながら山道を歩いておりましたら、
あ!
ずるりと転んで、斜面に足をすべらせてしまい、ごろんごろんと一丈ほど転げ落ちてしまった。
「うう、ついてないのう・・・」
と起き上がろう・・・としました。
ところが、
ずきん
と足首が痛く、立ち上がれないのだ。
えー。
むかしむかし、まだ二十台のころ、足が痛いので骨が折れたかと思って医者に行ったら、「通風」と診断されたことがありますが、その痛さともまた違いまして、足を挫いたようである。
「いてて。ぐすん。ついてないなあ・・・」
これでは自力で元の山道によじ登れそうにない。どうしようか、と思っておりましたら、
「これ、お若いの、どうしたのじゃ」
と道の方から声をかけてくれる声がした。
振り仰ぎますと、白髪白髯の老人が立っている。
「おお、ご老人、わしは頭痛の上に転がり落ちて足を挫いてしまい、どうやってそこまで戻ろうかと思案しているところでござる」
と申し上げると、
「ああ、それは患難でござるのう。さあ、これに摑まって登って来なされ」
と、一丈ほどの棒を伸ばしてくれた。
「や、これは忝のうござる」
とお言葉に甘えて棒に摑まり、えいやで引き上げてもらったのであった。
老人、年の割りには大変な力である。わしのでぶの体が一回で、ひょひょひょい、と山道のところまで持ち上がった。
「まことにありがとうございます。どうしようかと途方に暮れているところでございました。ところでご老人は一体何でこのような山の中に・・・」
と居住まいを正してご挨拶しようとしたのだが、挫いた足が痛み、ひょろりとしてまっすぐに立つことさえできず、片膝ついた。
「おお、大事になされよ。・・・そうじゃ、ちょうどここに挫きの塗り薬と頭痛の薬草を持っておるで、これを使いなされ」
と老人は、腰に提げていた嚢から、塗り薬と薬草を取り出して手渡してくれた。わしはありがたく拝受して、一方を塗り、一方を口に入れて食った。
「いや、ちょうどよかった。わしは本草学者での、この山に薬を採取にきたところだったのじゃ」
「おお、なんと。ありがたや」
「ところで、おまえさん」
老人はちょっと真顔になって言った。
「ここから転げおちて、さっき「ついてないのう」とか思ったのではないかな」
「おお」
これは図星であった。
「そのとおりでございます」
「しかし、今はわしと出会って、薬も渡された。「ついている」状態だと思わんか?」
「言われてみれば大変ついておりますね」
「さよう。ニンゲンは「ついてない」状態はわかるのじゃが、「ついている」状態を「自分の実力」と誤解してしまうやつが多いので困ってしまうわい」
「はあ、なるほど」
老人は話しつづける。
「おまえさんは修道者じゃと見えるが、タオ(道)というものは天地を包み造化の技を行うたいへんな代物じゃ。こいつは修めようとしても、
非有大勇大力、戴天立地之鉄漢、脱塵超俗之金剛、知不的、載不起、拿不動。
大勇大力の有り、天を戴き地に立つの鉄漢、脱塵超俗の金剛にあらざれば、知るも的せず、戴くも起たず、拿するも動かざるなり。
大いに勇気があり、大いに力があり、天を頭に載せて大地に立ち、塵の世の中を脱け出し通俗を超越した、鉄でできた男、ダイヤモンド人間でなければ、(道を)知ることができた、と思っても的確でなく、もらった、と思っても持ち上げることができず、つかまえても動かないものなのじゃ。
如何是大勇大力。
如何ぞこれ、大勇大力。
それでは、その大いなる勇気、大いなる力というのはどういうものか。
大力の例
@ 富貴を得てもそれでよしとしてしまわず、貧賤の中でも変わることなく、威厳や武器で脅されても屈することがない。(←「中庸」の言葉)
A 恩義や愛情にも引っ張られることなく、名誉や利益にも誘われることがない。
B 憂愁や恐怖の心が少しも起こらない。
C 喜び・怒り・哀しみ・楽しみ、といった感情を棄ててしまう。
大勇の例
@ 苦しみ・困難、危険・艱難においても動揺することがない。
A 病気や災害にあっても、なすがままに順う。
B 飢え・寒さ・凍え・餓えに遭遇しても、死ぬまで方針を変えない。
C 羞恥を与えられ、辱めを受けても知らないような顔をしてやり過ごす。
いにしえより聖人・賢者も多くの患難を受けながら、
受尽無限苦楚、所以終能聞大法、明大道、超凡入聖、成其稀有之大事也。
無限の苦楚を受け尽くすは、ついによく大法を聞き、大道を明かにし、凡を超え聖に入り、その稀有の大事を成す所以なり。
限りないほどの苦しみをお受け尽くしになった。これこそ、大いなる法を聞き、大いなるタオを明かにし、普通を超越して聖なる世界に入り込み、その稀有の大事業を成し遂げることができた理由でもあるのじゃ。」
「なるほどでございます」
と相槌を打ちますと、気をよくしたか、じじいはさらに言う。
「よいか。
患難是修真大薬。
患難はこれ修真の大薬なり。
困難に苦しむことは、真理を修めるための最上のクスリなのじゃぞ・・・」
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とじじいの説教はなお続くのですが、現実世界の肝冷斎は頭が痛いままだし、先ほど明日の朝から始まる苦難の知らせの電話(職場から)もあったので、今日はこのあたりまでとさせていただきます。淡々としていられるような状態ではないらしいのでございます。
もちろん、清・劉一明「通関文」より。そういえば今日は道士も童子も出てきませんでしたね。