これはなんという鳥でせうか。
今日は半月の寒い夜であった。
があがあ、というあの鵞鳥は、タマゴを温めるときに必ず「逆月」する、月のある方を向く、のだそうでございます。何故ならば、
向月取気助卵也。
月に向かいて気を取り卵を助くるなり。
月の方を向いて、月の「気」を得て、腹の下の卵の成長を助ける、ためである。
そうです。これは李時珍の「本草綱目」に書いてあったことじゃ。「月気」を受けて育つ、というのは、今風にいえば「ルナティック・エネルギー」で成長する、ということですな。
そのせいであろうか、この鳥は凶暴で、夜中によく鳴く。
善闘、其夜鳴応更。
善く闘い、その夜鳴は更に応ず。
けんか早く、また、夜中に鳴くときは、ちょうど(夜の時刻分けである)「更」の変わる時刻に対応している。
そうである。(同上)
以下は、いずれも五代のころのことですが・・・
その一・・・・・・・・・・・・・・・・
処州・平固(浙江にあり)のひとが行商に出かけて親戚の家を訪ね、数日宿泊させてもらった。明日は帰郷するという日、
夜分聞寝室中有人声、徐起聴之。
夜分、寝室中にて人声あるを聞き、おもむろに起きてこれを聴けり。
深夜、寝室で寝ていると(屋外から)ひとの声が聞こえてきたので、なんとなしに起きて聞き耳を立てた。
その声は、次のように聞こえた。
明旦主人将殺我、善視諸児。
明旦、主人我を殺さんとす。よく諸児を視よ。
明日の朝、家の主人はわしを殺すことになるであろう。子供たちのことをよろしく頼むぞ。
おそろしいことである。あの優しそうなこの家の主人が誰かを殺すのであろうか。
窓からそうっと覗くと、そこは鵞鳥の小屋があり、大小の鵞鳥たちが、がーすかと鳴いているだけであった。
翌朝、行商人が昨日のことは夢であったかと思いながら主人に別れを告げに行くと、主人曰く、
「それではお午にご馳走をしようではないか。
我有鵞甚肥、将以食子。
我に鵞の甚だ肥えたるあり、まさに以て子に食らわさんとす。
うちにはまるまると肥った鵞鳥がおるから、これを殺しておまえさんに食わせてやろうと思う」
それを聞いて行商人、
「あ」
と声を上げた。
主人がどうしたと問うと、昨夜のことを話したので、
主人於是挙家不復食鵞。
主人ここにおいて家を挙げてまた鵞を食らわず。
家の主人は、それを聞いてからは、一家中二度と鵞鳥は食べないことにした。
頃之、挙郷不食矣。
頃之、郷を挙げて食らわず。
しばらくすると、(それを聞いて)村中で鵞鳥を食べなくなった。
ニンゲンの言葉で話したから助かりましたが、そうでなければ肥っているのからまず食われたのでしょうなあ。
その二・・・・・・・・・・・・・・・・・
海陵(江蘇の地名なり)の西村において、乙卯の年(五代・周の顕徳二年=955)、
有二鵞闘於空中。
二鵞の空中に闘うあり。
二羽の鵞鳥が空を飛びながら戦うことがあった。
鵞鳥で空を飛ぶだけでも大したことだと思いますが、勝負があったらしく、一方が、
久乃堕地。其大五六尺、双足如驢蹄。
久しくしてすなわち地に堕つ。その大いさ五六尺、双足は驢蹄の如し。
当時の一尺は30センチ強。
やがて地面に落ちてきた。その大きさは1.5〜1.8メートルもあった。二本の足は驢馬の脚のようであった。
巨大に肥満だったのです。
そのような巨大な鵞鳥ですが、傷つき弱っていたので、
村人殺而食。
村人殺して食らう。
村人たち、これを殺して食ってしまった。
すると、
食之者皆卒。
これを食らうもの、みな卒す。
これを食った者は、みな死んでしまった。
肥満を殺して食べた報いはてきめんにあったのである。
のみならず、翌年、周軍が海陵の町を陥し、虐殺・略奪のことがあって、住民は十に七ほど死滅した。
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鵞鳥だからとか肥満だからとかいってナメていると痛い目に遇いますよ、ということか。
いずれも五代から宋初のひと徐鼎臣の「稽神録」補遺(「太平広記」巻462所収)より。