こんなのも動く世の中ですからね。
光緒二年丙子(1876)の秋。
莱陽(山東半島にあり)の張允の屋敷で、門の外から何物かが転がり込んできた。
「これは、な、なんじゃー?」
門番のおやじの声に家人らが目をやると――
おお、なんということでありましょうか。
家中注水甕、自門外走入門裏。
家中の注水甕、門外より走りて門裏に入るなり。
同家でいつも使っている水がめが、門の外から門内に入り込んできたのである。
そのようすは、
旋転如蓬、格磔有声。
旋転すること蓬の如く、格磔(かくたく)として声有り。
飛蓬(ひほう)のようにごろごろ転がって、がらんがらんと音を立てているのであった。
「飛蓬」という植物は、秋になると根のついたまま風に吹かれて転がるのだそうである。これは移動して種をあちこちに落としていくという種の戦略なのですが、根付くべき土地を持たずに転がって行く姿から、旅人の比喩ともされてきた。
「あわわ」
「おそろしや、何かがとりついているのであろうか」
「一体何の徴なのかしらね」
屋敷内の者はみんな、主人の張允まで庭に出てきて、その水がめを見た。
見者驚視、甕忽爆碎、水流満地。
見者驚き視るに、甕たちまち爆砕し、水流れて地に満てり。
みな驚いて見ていると、その水がめは突然ぼかんと破裂した。中に入っていた水が流れ出し、あたり一面水浸しになった。
うひゃあ、びっくりした!
・・・その水がまだ土に浸みこみきらぬうちに、門外からおとこが駆け込んできて、
「張允さま、合格です! 進士に及第いたしましたぞ!」
と科挙試験に合格したことを報じたのであった。
水がめは幸福の到来を報せてバクハツしたのである。
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では、ものがごろごろして動くのはよい知らせなのであろうか、というにそうとも言えないのだそうである。
賀康侯が江寧の某家に招かれたときのこと。
真昼間に、
見其院中山石響走丈余。
その院中の山石の響き走ること丈余なり。
その家の中庭の築山や石が「ぶぶぶ〜」と音を立てて一丈以上も動いた。
清代の一丈は約3.2メートルだそうです。
後其家自敗云。
後、その家自敗すと云う。
その後、某家は家内でもめごとがあって没落してしまった、ということである。
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いずれも清・漁洋山人・曾七如「漁洋夜譚」巻三より。張允も賀康侯も漁洋山人の知り合いだったようです。
この二例は不思議なことですが、ポルターガイストの類であろう。と考えればレッテルが貼れましたので、もう不思議でもなんでもございません。さすがはゲンダイ科学である。