がんばってもダメなものはダメでしてのう。ひひひひ・・・。
戦国時代。
魏の恵王(紀元前370〜318)は覇者となろうとして、趙の国に攻め込もうと考えた。
魏の臣・季梁はこれを知って、大急ぎで都に向かい、都に着くと、その衣の皴も伸ばさず、その頭の塵も払わず(←大急ぎであったことを表す)に王宮に詣でて王に面会を求めた。
「どうした、季梁よ」
王は季梁に問うた。
季梁、曰く、
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わたくしがこのたび都に向かってくる途中、街道でひとりの自由人階級のおとこを見かけました。
そのおとこは、
方北面而持其駕、告臣曰、我欲之楚。
北面に方してその駕を持し、臣に告げて曰く、「我、楚に之(ゆ)かんと欲す」と。
北の方に彼の馬車の正面を向けた状態で、わたしに言いますに、
「わしはこれから楚の国に行こうとしていますのじゃ」
と。
長江沿いの楚の国は、黄河の近くにある魏から見れば南の方向にあるのに、そのひとは北に向かおうとしているのです。
わたしは言うてやった。
君之楚、将奚為北面。
君、楚に之くに、はたなんぞ北面を為す。
おまえさん、楚の国に行くのに、どうしてまた北の方に向かおうとしているのか?
すると、彼は答えた。
吾馬良。
吾が馬良し。
わしの馬車を牽く馬は、よい馬ですぞ。
わたしは言うてやった。
馬雖良、此非楚之路也。
馬良しといえども、これ楚の路にあらざるなり。
馬はよい馬かも知れんが、そちらは楚に向かう道ではござらんぞ。
すると、彼は答えた。
吾用多。
吾が用多し。
わしの用意した路銀はたっぷりありますぞ。
わたしは言うてやった。
用雖多、此非楚之路也。
用多しといえども、これ楚の路にあらざるなり。
路銀はたっぷり用意しておられるかも知れんが、そちらは楚に向かう道ではござらんぞ。
すると、彼は答えた。
吾御者善。
吾が御者善なり。
わしの馬車の御者は優秀ですぞ。
ああ――。
王よ。
此数者愈善、而離楚愈遠耳。
この数者はいよいよ善なれども、而して楚を離るることいよいよ遠きのみ。
これらの各事項は、どんどん馬車を速くすることでありましょう。しかし、そのせいで、どんどん向かうべき楚から離れて行ってしまうだけです。
ところで、王よ。王は覇王となり、
挙欲信于天下。
挙げて天下に信ぜられんことを欲す。
世界中から信頼されることを望んでおられたはずでございます。
しかるに、今、国の大なること、兵の精鋭なることを頼って、大義無く趙を攻めようとなすっておられる。それは領地を広げ武名を高めることになるかも知れませぬが、世界中の信頼を損なってしまうことになりますまいか。
さすれば、
王之動愈数、而離王愈遠耳、猶至楚而北行也。
王の動くやいよいよしばしばにして、王を離るることいよいよ遠きのみなること、なお楚に至らんとして北行するがごときなり。
王の行動はどんどん積極的になるのに、そのせいで、王が目指すべきことからどんどん遠ざかって行ってしまうだけになりませぬか。楚に行くよ、と言うて北に向かっておるさきほどのおとこと、同じことだとお気づきになられぬか。
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以上、「戦国策」(魏策四)より。
なるほど、そうか。目的に向かって努力しているようでも、その方向性が間違っていたら目的は果たせないのだ。ああいいことを教えてもらった。
と素直に喜びたいところなのですが、ひとつ付け加えますと、魏の恵王(「孟子」では「梁の恵王」)は、五十年を超える治世を持ちましたが、結局覇者にはなれなかった。どっち向いて努力してもたいていのひとは同じ結果になるみたい。