異人さんコワい。
十九世紀の後半、光緒年間のこと、あるとき、天津から出た交易船があった。
帆船である。
数日後、季節はずれの北風に吹かれて行方を失い、大洋に漂流した。
「ああ、島が見えるぞ」
見張りが一つの島を見つけた。
「上陸してみよう」
船はその島の広々とした砂浜の沖に碇を下ろし、船乗りたちは短艇に乗り換えて砂浜に上陸してみた。
どこにもひとの姿はなかったが、数里(一里=約400m)ほど先に林があるのが見えたので、彼らは水と食料を求めてその林に向かうことにした。
林のこちら側には、一本の丈の高い木が立っている。
あと百メートルほどまで近づいたとき、一人が
「あ、あれは・・・」
と、その丈高い木の上の方を指差した。
他の船乗りたちが見上げると、・・・おお!
そこには、
有人結巣而居。如猱而小、黒黝無衣、背生両翼。
ひとの巣を結んで居る有り。猱の如くして小さく、黒黝(こくよう)にして衣無く、背に両翼を生ず。
巣を作って住んでいる「人間」がいたのだ。それは、おながざるのようにも見えたが、少し小さく、色は青黒くて衣服は身につけていなかったが、背中には両の翼がついているのだった。
「猱」(ジュウ)は「猿猴」すなわちおサルさんの一種で、「和漢三才図会」に引くところの「本草綱目」によれば、
深山中に生じ、「猨」に類す。毛柔らかく、長きこと絨の如く、以て藉(し)くべく、以て緝(つむ)ぐべし。その尾は長くして金色を作すを俗に金線猱と名づけ、軽捷にして善く木に縁(のぼ)り甚だその尾を愛す。ひと、薬矢を以てこれを射るに毒に中らばすなわち自らその尾を齧るなり。
という。
この「金線猱」は斉天大聖・孫悟空のモデルになったといわれるおサルさんであるので念のため。
さて。
船乗りたちは驚いた。しかし、もっと驚いたことに、気をつけて回りをよく見ると、そこかしこにこの「人間」らしきものがいたのだ。
そのイキモノたちは、
在地上或拾蛤蜃、或抱木枝、紛紛不計其数。
地上に在りてあるいは蛤蜃(こうしん)を拾い、あるいは木枝を抱き、紛々としてその数を計らず。
地上にいて、二枚貝の類を拾い集めていたり、あるいは木の枝に抱きついていたり、いろんなところにいてその総数は数え切れないほどであった。
彼らの方も船乗りたちに気づいた。
彼らは、船乗りたちを見ると、カラスのような声で何かささやきあい、また船乗りたちに向かって何かを呼びかけてきたが、その言葉は全く理解できなかった。
船乗りたちは一瞬来た道を引き返すかどうか迷ったが、このイキモノへの恐怖感より飲み水と食料の魅力の方がまさったのだそうである。
「うるさいぞ」
船乗りの一人が威嚇した態度をとってみると、
群相驚飛上樹。
群れは相驚きて樹に飛び上れり。
その生き物の群れは驚いたようにみな樹木の上に飛び上がった。
船乗りたちは林の中に入り、果樹や水を仕入れて帰ってきたが、その間、そのイキモノは樹上から船乗りたちに向かって何かいろいろ語りかけてくるのであった。
しかし、その語りかける言葉が皆目理解できぬ。しかたがないので応えずに放っておいたが、特に地上まで降りてきて邪魔立てするというようなことは無かった。
やがて船乗りたちが林から離れると、向こうも追いかけてくるほどの気も無いようで、また地上に降りてきて貝を拾うなどの作業に戻っていた。
しばらくすると風が出てきたので、水と食料を積み込んだ船はその島を離れた。
船乗りたちは、無事に天津に戻ってから知識のある老人たちに聞いてみたが、その島を知るひとはいなかった。
ところが、居留地の西洋人たちだけはその話を聞いて、即座に
飛人国ならん。
と答えたのであった。
その島にいたのは「飛人」であり、西洋人たちとは言語を通じることができて、交易をすることもあるのだそうである。
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清・李酔茶先生「酔茶志怪」より(巻二)。
西洋人たちの物知りには驚かされますね。