↑左側のは生首にも見える。

 

平成21年 3月11日(水)  目次へ  昨日に戻る

湖南・襄陽の劉雨汀という男のこと。

劉は以前、江南のある町で、とあるひとの家の離れに間借りしていたそうである。

夏のこと。

暑夜乗凉、坐庭中、対月啜茗。

暑夜に涼に乗じて庭中に坐し、月に対して茗を啜れり。

暑苦しい夜であった。

室内の暑気を避け、庭に卓と座を設けて、月を見ながら茶を啜って涼んでいた。

と、

どすん。

忽一物堕机上。

忽ち一物、机上に堕つ。

突然、(かぼちゃか何かのような)物が卓上に落ちてきた。

「なんぞや?」

驚いて

視之、新割頭顱也。

これを視るに、新たに割るの頭顱(とうろ)なり。

それを見ると、斬ったばかりのひとの生首であった。

血の滴る生首が動かぬ目で、ぎろりとこちらを見ているのである。

「う・・・う・・・うひゃひゃあ、だ、誰か誰かー」

と驚いて大声で下男を呼び寄せようとしたが、いまだ下男が来ないうちに、

又従空飛墜数級。勢如急雹、左右上下触人。

また空より飛びて墜つること数級。勢い急雹の如く、左右上下に人に触る。

さらにいくつかの生首が、空中から飛んで落ちてきた。その勢いは大粒の雹のようであり、劉の左右や頭や足をかすめたのである。

「首」のことを数えるのに「級」を使いますのは、いにしえ、秦の国で、戦闘行為で敵の首を上げるとその数によって位(「級」)が上がったからであるという。

「い、いったい何なのじゃ」

急避人屋、閉扉、物碰墻窗、砰砰作響。

急に人屋に避け、扉を閉ざすに、物、墻窗に碰(ほう)し、砰砰(ほうほう)として響を作す。

急いで部屋に逃げ込んで扉を閉めたのだが、そのもの(すなわち「生首」)は垣根や窓にとぶつかり、「ぼかん、ぼかん」と音を立てた。

「砰砰」(ほうほう)は「ぽん、ぽん」という擬音語です。

この状態が、

一夜不休。

一夜休(や)まず。

一晩中続いた。

次早、視窗上有血迹、而頭則烏有。

次早、窓上を視るに血迹有りといえども、頭はすなわち烏有(うゆう)なり。

夜が明けてまず窓の外を見たところ、そこには血の跡がべっとりとついていたが、あれほど跳ね飛んでいた生首は、どこにも見えなかった。

「烏有」は「いずくんぞ有らんや」(どうして有ることがあろうか)と読んで、「無い」の意味になります。

劉はこれはよくないことの兆しであろうと思ったが、果たして、しばらくすると

襄陽盗起、闔家遇難。

襄陽に盗起こり、闔家(ごうか)難に遇う。

襄陽の町が流賊に襲われて、劉の一族が全滅した。

との知らせが届いたのであった。

かくして劉は天涯孤独となった。

劉飄泊一身、庚申秋自津之保陽、遂不知所往。

劉、飄泊一身、庚申の秋、津より保陽に之(ゆ)き、遂に往くところを知らず。

劉は一人でさすらいの身となっていたが、庚申の年の秋、この天津の街から保陽(保定府内ならん)の方に行く、と言って去って行ったまま、その後その消息を知る者はない。

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庚申の年、というのは咸豊十年(1860)のことである。ということで、劉一族が全滅した「襄陽の盗」というのは「太平天国」軍であったことがわかった。このときはさしも殷賑を極めた長江中流の大都市・襄陽の全市がほぼ虐殺されたのであるという。ただの「飛頭蕃」系の怪談話、ぐらいに思ってたら大虐殺の話になってしまいましたね。生首飛んでくるのと全市虐殺、どちらもコワいけどどちらか一方だけ味わえ、といわれたら、みなさんはどちらにしますかな。

酔茶先生・李慶辰「酔茶志怪」巻二より。

 

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