があがあ。
弱ってきているので、圧かけてはいかん。
なのに明日もまた早くから折衝せねばならんのです。社会厳しい。
厳しい社会で儒学なんかどうでもいいや、というひとが多いので、今日は明儒学案のお話はまた止めて、もっと役に立つお話をします。
晋の隆安年間(397〜401)、呉興の街に、年のころ二十ばかりの見慣れぬ若者が現われた。
その若者、市にあって自ら号していう、
聖公。姓謝。
聖公なり。姓、謝なり。
聖公と呼んでくだされ。ちなみに、姓は謝と申します。
続けて、さらに驚くべきことを言うた。
死已百年。
死して已に百年なり。
わたしが死んでから、もう百年にもなるのですなあ。
なんと。
ということは、亡くなったのは晋の恵帝の元康年間(291〜299)の末ごろか。七王の乱が起こってやがて五胡の侵入によって華北が大混乱に陥り、西晋が滅ぶ(317)ことなる直前のころだ。
「それはすごい昔のひとではないか」
「しかも死んでいるというぞ」
「いや、これは珍しいのう」
と普通なら驚くと思うのですが、ひとびとは「変なひとだ」と蔑むだけで、あまり関心を示さなかった。
若者はひとり、市の外れにある陳氏の居宅の前まで来ると、
是己旧宅。可見還。不爾焼汝。
これ、己の旧宅なり。還さるべし。汝を焼くのみならず。
「これはわたくしの以前住んでいた家ですなあ。そろそろ返していただこうかと思います。ただこの家を焼いてしまうだけではないのだ・・・」
と謎めいたことを言っていたのだが、ふと気づくと姿が見えなくなってしまった。
しばらくすると、ひとびと、その若者のことを忘れてしまっていた。何とは無く忙しい日々が過ぎ行くゆえに。
ところが、ある晩、
火発蕩尽。
火発して蕩尽せり。
火が出て、陳家は焼け尽きてしまったのである。
その焼け跡に不思議なものが遺されていた。
有烏毛挿地、遶宅周匝数重。
烏毛の地に挿されたる有りて、宅を遶ること周匝して数重なり。
カラスの羽がその家の回りをぐるりと囲んで二重三重に、地に挿されていたのであった。
「これはどういうことであろうか」
「あの若者がこの家を持って行ったのであろう」
百姓乃起廟。
百姓すなわち廟を起こせり。
ひとびとはその場所にお堂を作って、そのひとを祀ったのであった。
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唐・段成式「酉陽雑俎」巻十四より。
ためにならない? どうしてですか。わたしはタメになりました。
どこが? いろんなところが。