爆発するかも知れん。
今日は市川大門碑林公園、春仙美術館、白根桃源美術館を観て来た。帰ってきたのは先ほどでした。
明日はほんとにオカしくなると思います。もうストレスでキモチ悪くなってきている。もうだめだ。さっきも吐いたです。
さて、では、今日はかっこいい道士の話をします。
唐の乾寧年間(894〜898)、雲安県に楊雲外という道士がいた。
このひと、いつも酒気を帯びており、奇行が多かったので、地元ではあまり尊敬をかちえていなかった。
雲安の銭若愚というひとは、進士の資格を得ながら唐末の混乱を避けて官職に就くのを避けて郷里にいたが、ある日斎戒沐浴して楊雲外の住む山中の道観に赴き、真剣な面持ちで訊ねた。
師丈、小子凡鄙。神仙之事、雖聴其説、果有之。
師丈、小子凡鄙なり。神仙のこと、その説を聴くといえども、果たしてこれ有りや。
「先生さま。わしはちっぽけなガキのようなものであり、凡愚でいなかものです。神仙がいるという説を聞いておりますが、なかなか信じることができませぬ。現実に神仙はいるのでしょうか」
楊道士、銭若愚の真剣な質問をにやにやして聞いていたが、質問が終わると軽々しく答えて曰く、
有之。我即其人也。
これ有り。我すなわちその人なり。
「神仙は現実におるよ。わしがまさにそうじゃ」
銭進士、びっくりして眼をぎろんと見開いた。
「は、はあ?」
「信じられぬのなら証拠を見せようぞ」
道士はひょいと椅子から立ち上がると、
「えい!」
と気合をこめて空中を一歩踏んだ。すると、・・・ああ不思議なり。
騰躍上昇、冉冉在空中。
騰躍上昇し、冉冉(ぜんぜん)として空中に在り。
足を踏むたびに段々揚がって行き、空中に浮上したのだ。
道士はひょいひょいと雲の高さまで昇り、やがて雲の中に隠れた。
銭若愚、茫然として雲を見上げている。
と、雲の中からまた道士の足が見え、体が見えた。道士は、まるで風に舞うかのように、ふわふわと降りてくるのであった。
良久而下。
やや久しくして下る。
しばらくすると、もとのところに降りてきた。
銭進士、驚愕して
「ど、道士さま・・・」
と言うもののその後が続かぬ。
楊道士曰く、
「おまえは、どうしてわしがこのような能力を普段は見せようとしないのか、と問いたいのではないか。
若示以飛空躡虚、履水踏火、即日有千万人就我、不亦煩褻乎。
もし、空を飛び虚を躡(ふ)み、水を履(ふ)み火を踏まば、即日にして千万人の我に就く有りて、また煩褻(はんせつ)ならんや。
もしも空を飛んだり空中を昇ったり、水の上を歩いてみたり火の上にずっといるなどの能力を開示したら、その日のうちに千人も万人もわしの弟子になろうとしてやってくるではないか。それらになれなれしくされたら、また煩わしいことではないかね。
だから、滅多に見せないのである」
若愚は以後、深く道士を尊敬したとのことである。
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当然であろう。
今日も五代・孫孟文、「北夢瑣言」による。ただし、この話は賈二強点校(中華書局2002)版の「北夢瑣言」逸文巻一にあり、「太平広記」巻四十からの再録であるという。