平成21年12月30日(水)  目次へ  前回に戻る

百八のかなしきことのくりかえしまたくりかえし君となりける

毎年毎年イヤになりますが、来年はどんなイヤなことがあるのでしょうか。イヤになってまいりますね。

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唐の開元年間のこと。

長安の進士・鄭愚、劉参、郭保衡、王沖、張道隠ら十余人は、

不拘礼節、傍若無人。

礼節に拘らず、傍らに人無きがごとし。

礼節にこだわることなく、かたわらに他のひとがいないかのようであった。

どのように傍若無人であったかというと、

毎春時、選妖妓三五人、乗小犢車、指名園曲沼。

春時ごとに、妖妓三五人を選び、小犢車(しょうとくしゃ)に乗り、名園曲沼を指す。

春になるごとに、妖しいほど美しい妓女を三人から五人連れ出して、子牛に曳かせた小さな車に乗り込み、有名な園地や魅力的な形の水辺を指して遊びに出かけるのだ。

そして、

藉草裸形、去其巾帽、叫笑喧呼。

草を藉(し)いて裸形となり、その巾帽を去り、叫笑喧呼す。

草をしとねとなして、その上でみなはだかになってごろごろし、頭を包む頭巾や帽子もかぶらず、大笑いし大声を出し騒ぎまくったのだ。

もちろん識者たちは眉を顰めて批判するか、あるいは彼らの存在を認めず無視したが、彼らは自分たちでこの行動を「顛飲」(ひっくり返って飲むの会)と称して誇った。

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今年はこれが最後の更新になろうと思いますので、謹んで新しい春のお慶びを申すべく、春の話をいたしました。

明後日からは「新春」ですがゲンダイ暦でこういうのをやると寒いので止めておいてください。やるなら室内でやってくださいね。なお、「裸形」と「巾帽を去る」ことが同じぐらい重大な問題と解されているのも何となくおもしろいですね。

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長安に興慶池という池があり、その南岸には数群の草むらがあって、ほかの場では見られない珍しい草が生えていた。

その草は

葉紫而心殷。

葉は紫にして心殷なり。

葉が紫色で、茎が殷(赤色)であった。

ある夜、

有一人酔過於池傍、不覚失其酒態。

一人の酔いて池の傍らを過ぎるあるに、覚えずその酒態を失う。

あるひとが酔ってこの池のかたわらを通り過ぎたとき、いつの間にか酔いが抜けてしまったことがあった。

その噂を聞いて、珍しいことが大好きな長安市民は、みな酔ってその池の周りを歩き回った。

そこでわかったのは、この池に生えている草に秘密があるということであった。

有酔者摘草嗅之、立然醒悟。

酔者の草を摘みてこれを嗅ぐあれば、立然として醒悟す。

酔った者がこの草を摘んで香りを嗅いでみると、たちどころに酔いが醒めてしまうのだ。

この草は

醒酔草

と呼ばれて、悪酔のひとに利用されたが、「顛飲」して裸で妖しき妓女たちとともに草の上にごろごろ――しようとして、この草の上にごろごろしてしまうと突然に酔いが醒めてしまうことになる。中年太りだったりするとかなり恥ずかしいことであろう。

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「顛酔」「醒酔草」、いずれも五代・王仁裕「開元天宝遺事」巻上より。「醒酔草」はそんなものあるはずない、うそだろう、と思ってしまいますが、「顛酔」グループの存在は如何にもありそうに思ってしまいますのは、やはりひとには「己れを解き放ちたい」という願望があるからなのでしょうなあ。では酔い、ではなく佳いお年を。

 

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