「ルイスがもう来ない、ということがまだ信じられん・・・」
清の時代のお話です。
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進士の劉祖向が教えてくれたこと。
頴州に幼い子どもがあった。年は二つ三つのかわいいさかりであったが、何か魔物に侵されたらしく、何日も意識を失ったままで衰弱し、体も冷え切ってしまって、もはや生きるのは無理であろうという状況になった。
冬の寒い晩、
家人謂不可活、置之路傍。
家人、「活するべからず」と謂い、これを路傍に置く。
両親は「これはもうだめだろう」と言いあって、道端に棄てて身を隠そうとした。
――遺棄しようとしたのです。
と、そこへ一人の老いた道士が現れた。片方の目は潰れ、歯の無い口元は笑ったように歪んでいる。
その道士、
「ひひひ、おまえたち、こんな寒空の下に子どもを置いてどこに行こうというのじゃ?」
と訊ねた。
両親は正直に、もはや助からぬであろうから、これ以上の看病は負担になるゆえ、ここに棄てたのだ、と告げた。
道士は頷くと、おもむろに
取鉄槌重数十斤、槌病者頭面。
鉄槌の重さ数十斤なるを取り、病者の頭面を槌せんとす。
数十斤(一斤=600グラム)もありそうな鉄の鎚を取り出し、それで病人の顔面に振り降ろそうとした。
父母、
「お、お待ちください」
と泣いて言う、
病已至此、鉄槌下、首立砕矣。
病いすでにここに至る、鉄槌下らば首たちどころに砕かれん。
「病気でこんなに弱っているのです、鉄槌が振り下ろされれば、この子の頭部はぐちゃぐちゃに砕かれてしまいましょう」
道士、「にひひ」と笑い、
「さてさて、この子は今すぐに楽にしてやる方がいいのか、それともなお苦しみながら生きて行った方がいいのか。いずれにせよこの鎚でこの子を傷めることはありえないのじゃが・・・」
と言いながら、
どすん。
と、鉄槌を振り下ろした。
両親は一瞬目を塞いだが、
「ほれほれ安心してご覧じろ」
と言う声にそっと目を開けてみた。
鉄槌は子どもの額に落ちていたが、顔面は潰れることなく、ただ、
有一美婦人長二寸許、自口中躍出。
一美婦人の長二寸ばかりなる有りて、口中より躍り出づ。
身の丈二寸ほどの小さな美しい女が、子どもの口から飛び出してきたのだった。
この当時の一寸は3.2センチぐらい。
女は全裸で、子どもの口から飛び出すと、そのまま道端の草むらに逃げ込んでしまった。
「いひひ、まだ出るぞ、まだ出るぞ」
道士はさらに鉄槌を何度も子どもの額に振り下ろすと、そのたびに「どすん」と鈍い音がして、口から全裸の女が飛び出してくるのだった。
凡百槌、口出百婦人。大小形状如一。
およそ百槌するに口に百婦人を出だす。大小形状一なるが如し。
およそ百回振り下ろしている間に、口からは百ばかりの女が出てきた。大きさ、顔かたち、みなまったく同一であった。
道士、また鉄槌を振り下ろそうとして、
「おおっと、今度振り下ろしたら本当に頭蓋が砕けるところじゃったわい」
と途中で止めた。
それでも鉄槌は「ごつん」と子どもの眉間に当たり、今度はそこだけ骨が陥没してしまった。
「いひひ、これはすまぬことをしたのう」
と道士が歯の抜けた口を見せて笑うと、そのとき突然、今まで意識の無かったはずの子どもが激しく泣き出したのである。
「おお、もしや・・・」
両親が抱き上げると、子どもの体には熱が戻っていた。
両親が驚きながらあたりを見回したときには、道士の姿はもう無かったということである。
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王阮亭「池北偶談」巻二十五より。
やっぱり病気になって絶望的になるとむかしは棄てられたのですなあ。
「不思議な道士のおかげで子どもは一命を取り留め、後に立派に成長したが、額の骨は陥没したままで、「鉄槌郎」と呼ばれて不思議がられたそうだ。・・・しかし、諸書に当たってみたが、この百の女怪の正体がいまだにわからぬ。阮亭先生(←わしのことです)はご存知あるまいか」
と劉祖向に訊ねられたが、わしはぶるんぶるんと首を横に振りまして、
「知らん」
と答えました。
「あるいは、わしの郷里(山東・新城)の近く(山東・湽川)に聊斎・蒲松齢というわしより六つほど年下の、科挙になかなか受からないままそういうおかしな話ばかり集めているやつがいるので、そいつならわかるかもなあ・・・」
と思ったものの、その後蒲聊斎に会う機会も無くそのままにしてしまっています。