平成21年11月12日(木)  目次へ  前回に戻る

虞道施というひと、義煕年間(東晋・安帝のときの年号。405〜418)に、馬車に乗って江南の山中を旅していた。

突然、道の傍らから黒い衣のひとが現われ、

「車に載せてもらえまいか」

と声をかけてきた。そのひとは御者が何の反応もしないうちに、

「申し訳ない、申し訳ない」

と言いながら、するする、と速度を落としもしていない馬車に乗り込んでくる。

――なんという非礼な者であろうか。

道施は追い出そうと杖に手をやったが、そのひとの顔を見た途端・・・・やめた。

そのひとは、

頭上有光、口目皆赤、面被毛。

頭上に光あり、口目みな赤く、面は毛に被(おお)わる。

頭の少し上のところからいわゆる「後光」が射しており、くちびると瞳は深紅。顔面には一面に毛が生えている。

そんなひとが、

「いやあ、すまんすまん」

と普通にしゃべりながら、馬車の道施の右側に座り込んだのである。

道施は無表情に、

「い、いや、おかまいなく・・・」

と言い、できるだけそのひとを見ないようにずっと前を見ていた。

二人はしばらく無言のままで、

行十里。

行くこと十里。

シナ里ですから、十里で4〜5キロ。

ようやく平地に出かかると、

「あ、ここじゃ」

そのひとは、乗り込んできたときと同様に、するする、と馬車から降りて行く。

降り際に、深紅の目をぎろりと道施の方に向け、赤いくちびるを開き、

我是駆除大将軍。感爾相容。

我はこれ、駆除大将軍なり。爾の相容るるに感ず。

わしは「駆除大将軍」である。おまえの寛大なのに感謝するぞ。

と言った。くちびるよりもなお紅い口の中が、炎のようにちらちらと見えた・・・・・、その紅がまぼろしのように目に残っている間に、そのひとは黒い衣を翻したのである。

「い、いや、お気になさらずに」

と表情を変えずに答えたときにはもうその姿は、車内はもちろん、馬車の周りのどこにも無かった。

しばらく馬車に揺られていた道施は、また一里ほども来てから、御者に

「おまえも見たよな?」

と問うたのだが、御者は

「なんのことですか」

ととぼけた答えをするばかり。

夢でも見たか、とさっきまで彼が座っていた場所を見ると、感謝のしるしであろうか、

留贈銀環一双。

銀環一双を留贈せり。

銀の耳輪一組が遺されていたのであった。

その耳輪を手に取ると、しゃりん、しゃりん、と馬車の揺れるに合わせて快い音を立てた。

帰宅してからいろんな書物を開いて「駆除大将軍」について調べたが、とうとう何ものであるかわからなかったそうである。

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段成式「酉陽雑俎」巻十四より。段成式がこれを書いたのは唐の時代ですから、実際の事件が起こったときから400年も経っているのである。

 

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