イヤなことばかりの世の中、ほんとうにイヤでございます。
などと言うていると、
「イヤなら出てけ」
と、言うのだろうな。ふん。
出て行き方としては、次のような出て行き方もありますので、ご参考までに掲げておきますね。
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清初の康煕十年(1641)、この年の六月〜七月(旧暦である)、江南地方は一滴の雨も降らぬ日照りとなった。
水田は干上がり鳥や虫も寄りつかぬ。水を得るのが容易でないので、旅商人たちの行き来も絶えてしまった。
――これは放っておけば大きな災いになるぞ。
――なんとかせねば・・・。
と衆生済度の念にやまれず、立ち上がったひとたちがいる。
細林山の道士・曹耕雲さまというひとは、悪鬼を祓う力を持つという大きな黒犬をつねに従え、堂々たる美丈夫であったが、
以術自詡、築台高数丈。
術を以て自ら詡(ほこ)り、台の高さ数丈なるを築く。
自分の道術で何とかできるかも知れぬ、と大言なされ、高さ数丈(5〜6メートル)の築山を築かせた。
毎日、日中には飲食をせず、朝と昼と晩の三度、大地に力を与える歩き方で地面を踏みしめながら、印を結んでこの築山に登り、太陽に向かって激しい身振りで祈った。炎天下のこと、体はみるみるやつれ、髪はおどろに乱れて、半月もするともとの面影を失うほどであった。
六月の末日には多くのひとびとを集めて、
用黒犬磔。
黒犬を用いて磔す。
その台の上で、自らの使い魔の黒犬をはりつけて殺した。
その血を台上に撒き、はりつけた木とともに犬の死体を焼いて祈った。
・・・が、
日色愈熾。
日色いよいよ熾(さか)んとなれり。
太陽の輝きはかんかんとして、さらに増したかと見えた。
道士は、
――この祈りをも請けたまわぬか!
と叫ぶと、突然に咽喉から血を噴き出して倒れ、そのままこときれた。その気魄のすさまじかったことは、血がはるかに十丈ほども飛び散ったことから知れたという。
仏教者の中では、明願という僧侶、俗姓を田といい、東昌府の出身でとびきりの美男、また声明の声さわやかで人気があったが、彼が衆生のために己の身を捧げる覚悟で祈祷を行った。
その祈祷は六月の半ばからはじまり、大衆の見守る中、炎天下にずっと太陽に向かって跪き、
――必ずや六月中に雨降らせたまえ!
と
不飲不食、望空拝懇。
飲まず食らわず、空を望みて拝懇す。
(日中のみならず)一日中なにも飲み食いせず、ずっと太陽を見つめて日照りを止めるよう懇願したのである。
半日にして目はつぶれ、数日にして体は黒ずんでしまったが、その祈りを止めようとしなかった。
しかし、六月が過ぎても一滴の雨も降らぬ。
このひとは、七月のはじめに、腰に石を縛り付けると這って塘橋という橋の上まで行き、ひとびとの目前で
躍入跨塘橋河、自沈死。
塘橋に跨りて河に躍入し、自ら沈死せり。
塘橋の欄干にまたがるとそこから川に飛び込んで、自ら沈み死んだのである。
しかしながら、雨はその後さらに一月ばかり降らなかった。
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清・董蒼水先生「三岡識略」巻六より。
これほどの念力を以てしても降らないのに、一月後の八月(旧暦)には降ったのですから、止まない雨は無く、日照りもいつかは止むのだということがわかりますね。