かっこいいオトコの話。
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うちのおやじは根っからの武人であったから、納得できぬことにはまったく納得ができぬ。ために何ということもない満洲貴族に睨まれて、しばらく広州・南寧の司馬(警察署長)に飛ばされていた時期があった。わしはそのころはもう学問を始めていたので任地にはついて行かず、北京に残って師のもとで経書の勉強をしていたのであったが、このときおやじの上司に当たったのが、広西撫軍の屈進美どのである。
屈どのも武人であるから、おやじとは意気投合するところ多かったらしい。ほとぼりもさめて南寧から北京に戻されてきた後も、おやじはよく屈どのの話をした。屈どのの話をするときは決まって最後に、
「・・・いやしかし、屈撫軍の「あれ」は誰にも真似はできぬ。おまえたちにも見せてやりたいものじゃ」
とご機嫌に言って、にやにやしてしまうのであった。
その屈進美どのが、広西から帰ってきた。
すぐに江南の漕運総督に赴任されるということで、北京におられる日にちはあまり長くなかっただが、おやじが「是非に」と頼んで我が家で歓迎の宴を行うこととなった。
その際、わたしもご紹介に与かったのである。
屈どのはたいへん恰幅よく、またにこやかな方で、当時は五十代の半ばぐらいであったろうか。
さて、その屈どのの「なに」が誰にも真似できぬのか。宴が始まる前に、おやじから、「よく見ておけよ」と耳打ちされた。
「は、はあ・・・」
とわしが屈どのの一挙手も一投足も見逃すまいと目を瞠っていると、おやじは宴席に入る前に屈どのを我が家の台所に案内し、
設猪首一、熟鵞一、饅首二十個。
猪首一、熟鵞一、饅首二十個を設く。
ブタの頭をまるまる一個、ガチョウをまるまる煮こんだもの、まんじゅう二十個を出した。
屈どのは、にこりと笑われて、これをすべて平らげてしまわれた。
食完然後入席。
食うこと完然として後、席に入る。
すべて平らげてしまわれた後、はじめて宴席に入られた。
上席に座られた屈どのは、他の招待客が何人か挨拶して名刺を差し出して入る間に料理を食べ始め、宴を正式に開始するころには、
公之十二器中、已蕩然無余矣。
公の十二器中に、すでに蕩然として余無し。
屈どのの前の十二の器に盛られた料理は、もうまるで魔法にでもあったかのように空っぽになっていた。
その後お替わりを繰り返されて、宴を引いた深夜に至るまで食べ続けになった。
お客たちが帰ったあと、屈どのはおやじと二人だけでしばらく酒を酌みあっていたが、このときにもつまみを注文され、
此物只可塞牙縫。
この物、ただ牙縫を塞ぐべきのみ。
「これぐらいでは歯の間をふさぐぐらいにしかならんわい」
と笑っておられた。
最後に
鶏子三十枚。
にわとりのタマゴを三十個。
次々に割って飲み込むと、はじめて我が家を後にされたのである。
おやじは屈どのが帰った後、三月ぐらいは毎日のように
「あの食いっぷりを見たか。あれは真似できぬぞ」
と言うてそれから一人で笑っていたものである。
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一応カロリー計算をしてみます。
仮定)ブタの頭=2500kc、ガチョウ=2000kc、まんじゅう一個=80kc、料理一皿=300kc、タマゴ一個=60kc、つまみ類=200kc、酒類=400kc、十二皿の料理をそれぞれ二回づつおかわりしたものとみなす。
2500+2000+80×20+300×12×3+60×30+200+400 = 19,300
酒類が400kc程度で済んでいるとも思えぬので、おそらくは2万キロカロリー以上を摂取していることが判明する。五十台でこれぐらい食えれば、大したものということができよう。清・劉玉衡「在園雑志」巻三より。