昨日の続きです。
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塞藍(サイラム)の毒クモに咬まれたときの対応について。李暹青年は答えようとして、その前にちらりと上司の陳竹山の方を見た。国家秘密なのだろう。この男(わたしのこと)に告げていいかどうか承認を求めたものとみえる。陳竹山は小さく頷いた。
「えー、クモに咬まれた場合にはですな」
と李暹は続けた。
「現地の巫師は、
以薄荷枝於人身上掃打、及以鮮羊肝遍擦人身。
薄荷枝を以て人身上において掃打し、及び鮮羊肝を以て人身を遍擦す。
ハッカの枝切れでそのひとの体の上を掃き、次いでその人を叩く。それから、採ったばかりの羊の生き肝を手にして、そのひとの体中をまんべんなく擦るのであります。
かくのごとくしつつ、一昼夜、口には現地語の呪いの言葉を唱え続ければ、その痛みはかなり弱まり、何とか生きながらえることができるのです。
しかしながら、
癒後、遍体皮膚皆蛻。
癒後、遍体の皮膚みな蛻す。
治った後、体中の皮膚はすべて、ぺろりと剥けてしまうのであります。
ところで、頭部または足を咬まれた人は、多くの場合、あまりの痛みに
翻滾就地而死。
翻滾して地に就きて死す。
飛び上がったり転がったりして自らを地面に叩きつけ、そのために死んでしまう。
のでして、この地方では、休憩して寛ぐときには必ず水辺で休むのです。咬まれたときに水に飛び込んでしまえば、地面に体を打ちつけて死んでしまうことが無いからなのです」
なんというおそろしいクモであろうか。わしは恐ろしさにぶるぶると震えた。
以上、「西域蕃国志」を参照ください。
―――――と、
「ちょっと待ちなされい」
と出てきたひとがいます。年のころは四十よりはまだ若いか、という中肉中背の男だが、両目の瞳が大きく、ぎらぎらとよく光るのが特徴的である。
「わしは劉郁と申しまして、元の時代に、憲宗皇帝の弟で常徳西使であった錫吏庫さまが西域諸国を征伐したとき、書記として皇弟殿下に従い、その途次の見聞を記録したものである。
わしの経験では、
有蟲如蛛。毒中人頻渇、飲水立死。惟過酔葡萄酒、吐則解。吉利吉思人牲畜毎年死於蜘蛛者、難以数計。
虫ありて蛛(ちゅ)の如し。毒中るの人しきりに渇し、水を飲まばたちどころに死す。葡萄酒を過酔せしめて吐けばすなわち解くのみ。吉利吉思の人・牲畜、毎年蜘蛛に死する者、以て数え計り難し。
(西域には)クモの一種が生息しているが、このクモの毒にやられると、ひとは頻りにのどの渇きを訴える。これに水を飲ませると、即死する。ただ、ぶどう酒を大量に飲ませ、泥酔させて吐瀉させたときだけ、解毒することができる。キルギスの人間や家畜には、毎年このクモの毒で死ぬものがたいそう多く、数えることができない。
はずで、そのことは「西使記」という書物に書いておいた。
あんたらの言うように水辺に居ったらほんとに死んでしまいますよ。それに治療法も大間違いです。ぶどう酒を飲ませておけばいいのです」
「な、なんですと」「われわれの報告を大間違いだとは、け、けしからん」
劉郁と陳竹山・李暹組との間には一触即発の緊張感が漲ります。
「よし、それでは実験してみようじゃないですか」
「やってみますであります」「うむ」
三人は同意し、そして
「お、ここにちょうどいい実験台があるでありますね」
とわしに目をつけました。
「え?」
「さあ、来るのです」
三人はわしの (以下闕文)