徒食者その1。
昨日の続き・・・・・
孟子、答えて曰く、
「よいですかな、公孫丑くんよ。
君子居是国也、其君用之、則安富尊栄。其子弟従之、則孝弟忠信。
君子のこの国に居るや、その君これを用うればすなわち安富にして尊栄なり。その子弟のこれに従えばすなわち孝弟にして忠信なり。
立派なひとがある国にいる。その国の君主がその方を採用して大きな権力を与えれば(、その方のすばらしい政治によって)その国は安全で富裕で尊敬され繁栄することになるであろう。たとえ権力を持たなくても、その国の若者たちがその方に弟子入りしてそのもとで学べば(、その方のすばらしい教育によって)その国の若者たちは親孝行で兄には大人しく従い、真心を以て人と接し信頼を裏切らないひとになるであろう。
だとすれば、だよ、公孫丑くん、
不素餐兮、孰大於是。
素餐せず、孰れかこれより大なることあらん。
「働かずにメシを食うことなんてことはない」こと当たり前ではないか。このひとよりもよく働いているひとがどこにいるのだね?」
この孟子の答えを聞いて、公孫丑は、
「なあるほど、よくわかりましたー」(棒読み)
と言いました。
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というのが、孟子・尽心上篇のお話でした。
ああ、今日は眠かった。さあ寝よう――と思ったのですが、吉田松陰先生が「講孟箚記」(巻の四・中)に次のように言うているので、ご紹介しておきます。
不素餐兮。(素餐せず。)
此の四字は切実の語なり。徒喰(ただぐひ)せぬと云ふことなり。貴賎智愚となく、三度の食事をせぬ者はなし。功なくして徒喰(ただぐひ)せば、空しく天地間有用の物を糜(つひや)すと云ふべし。宜(よろ)しく一日三省して、三食の徒(いたず)らにならぬ如く心掛くべし。
この四文字われらに切実な言葉であります。意味は「ただぐいしてはいない」ということです。
身分ある者も無い者も、智恵ある者も愚か者も、一日に三度の食事をしないひとはいないわけですが、何の成果も上げていないのに「ただぐい」しているのでは、そのひとは天と地の間の限りある資源をムダに費やしているだけになってしまいますよ。どうぞ、毎日三回反省し、自分の三食が「ただぐい」になっているのではないか、そうならないようにしよう、と心がけてくださいね。
「ただぐい」は「無銭飲食」とは意味は違うわけですが、こう何度も「ただぐい」「ただぐい」と言われるとメシがまずくなってくるぜ。徒喰(ただぐひ)してるやつらは怪しからんからどんどん言ってやってほしいが、わしのように社会の役に立っていてみなから有りがたがられているニンゲンには言って欲しくないねー。がはははー。(←愚か者)